東京の坂道をめぐ (麻布・広尾・六本木・赤坂・青山を中心に)

 東京の坂道めぐりはタモリさんの著書「タモリのTOKYO坂道美学入門」とNHKの番組「ブラタモリ」を参考にして、平成23日5月4日(奇しくも僕たちの結婚記念日)に一日かけて散歩したものです。写真でもわかるとおり、東京では一つ一つの坂道に標識がたてられ、その名前の由来が記しております。散歩愛好家・坂道愛好家にはとても良いことです。
 東京の坂道は、いわゆる下町・ロワー東京(隅田川周辺以東)にはほとんど見られませんが、アッパー東京では至る所で出会います。例えば東京を一定方向に向かって歩いていると
、突然登り坂や下り坂に出会います。ここが大阪の坂や神戸の坂道と違うところです。神戸の坂は六甲山から港へ向かって一直線、大阪の坂は上町台地から西の松屋町筋に向かってドカッと下っていくだけです。ところでこの大阪の上町台地の坂で有名なものは「天王寺七坂」と呼ばれるものですが、これがなかなか良いのです。特に口縄坂はお勧めです。タモリさんにも是非来てほしいですね。

追記:平成25年5月4日(これまた結婚記念日?)に饂飩坂以下十一の坂を尋ねました。

参考に以下のサイトを

 狸穴坂(まみあなざか)と日本経緯度原点
「まみ」とは雌ダヌキ、ムササビ、アナグマの類の動物で、昔その穴が坂下にあったからこの名がついたそうです。狸穴坂の南側、ロシア大使館の南側にある坂(名前は不明)を上ると日本経緯度原点にたどり着きます。日本経緯度原点とは、我が国の経緯度を決める基準となる点だそうです。日本の測地座標系の原点になります。周りには Tokyo American Club やアフガニスタン大使館があります。もともとは東京天文台があったところだそうです。ここに立つと「やはり東京は日本の中心なのだ!」と感じます。明石市は東経135度の日本標準時子午線上にあります。
   

 鼠坂(鼬坂)と植木坂

左下が鼠坂、右下が植木坂です。二つの坂は続いています。
鼠坂という名前の由来は、江戸では細長く狭い坂道を一般的にねずみ坂と呼んだそうです。
植木坂はこの付近に植木屋があったからだそうです。まっ当たり前の名前ですが?でも、ここの植木職人が菊人形を始めたそうです。僕にとっては菊人形といえば枚方公園の菊人形です。僕は昔、枚方公園に住んでいたことがあるのです。ところでこの界隈には袋小路や高級住宅がおおいです。袋小路を取り囲むワンブロックずつが分譲されたのでしょうか。ブリジストン美術館永坂分室もここにあります。
   

 氷川坂と氷川神社

氷川神社は、八代将軍吉宗によって建てられました。吉宗は享保の改革で倹約策をとったのですが、この神社も将軍寄進にしては質素な造りとなっています。でも江戸の武家風の風格と気品があります。氷川坂はもともとは氷川神社の正面に当たる坂だそうです。
   

 南部坂と忠臣蔵と勝海舟旧居

江戸時代初期に南部家中屋敷があったのでこの名前があります。忠臣蔵の泣かせどころ「南部坂雪の別れ」で有名な坂です。南部坂から少し北に行ったところに「勝安房邸跡」(写真右下)があります。
   

 三分坂と報土寺と雷電為右衛門の墓

急坂のため通る車賃を銀三分増したためにこの名があるといいます。確かに急坂です。坂のたもとの報土寺には伝説の相撲取り「雷電為右衛門」のお墓があります(右下)。NHKの「ブラタモリ」でも紹介されました。タモリさんと住職さんの人柄が感じられる企画でした。「らいでん」という電車の表示板が、お墓への道筋を示しています。 
   

 円通寺坂と薬研坂

円通寺坂はここにあるお寺の名前。薬研坂は中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているためにつけられたそうです。二つの坂は続いています。
   

 新富士見坂庚申塔

「新」の字がつく通り明治末から大正にかけて開かれた坂だそうです。名前のとおり、坂ができたころには富士山がよく見えたようです。近くに庚申堂があります(右下)。この地に庚申信仰があった名残です。大阪の四天王寺には立派な庚申堂があります。此花区伝法にも庚申堂がありました。関西には更新信仰が残っているのですね。近くには広尾神社もあります。
   

 青木坂(富士見坂)と猫のアリスちゃん

江戸時代中期に開かれた。このあたりでは元祖富士見坂です。右下は近くで出会った猫さん。アリスちゃんとなずけました。有栖川公園が近かったので。本人は名前を付けられてしまったとも知らずに歩み去りました。
   

 新坂と光林寺

名前のごとく明治中期に開かれた新しい坂だそうです。坂下近くの光林寺にはアメリカ総領事ハリスの通訳を務めたヒュースケンのお墓があるそうです。墓地にお邪魔してだいぶ探しましたが見つかりませんでした。残念。光林寺は都心だとは思われぬ森に囲まれた立派なお寺です。
   

 目切坂と旧鎌倉街道と目黒元富士跡

石臼の目を切る職人が住んでいたからこの名前があるらしいです。この道はかっての鎌倉街道にあたり、いざ鎌倉という時に関東の武家たちが馬を飛ばした道らしいです。坂の上には富士山信仰の象徴として、高さ12メートルもある富士塚が築かれていたらしいです(写真右下)。東京は浅間神社をはじめとして富士信仰が強いです。これが西日本に行くと全くない。やはり毎日、目前に流麗な姿をした富士を眺めていると自ずと頭が垂れるのでしょう。自然に対して尊敬の念を抱くのは日本人の特質です。旧朝倉家住宅が坂の上にあります。
   

  暗闇坂
何か「暗闇坂殺人事件」でも起きそうな名前の坂です。麻布十番から元麻布方面へ登る坂です。樹木が坂を覆って暗くなるほどであったからこの名があるらしいです。なかなか趣のある坂です。登っていくと左側にオーストリア大使館があります。

 

 狸坂

この界隈では狸が現れ、その狸が人をばかしたからこの名前がついたらしいです。幸いと言うか残念ながらと言うべきか、僕たちをだます狸は現れませんでした。木の葉の万札でもいいから欲しかったのに。このあたりも高級住宅街です。




   芋洗坂
六本木の交差点から下っていきます。土地柄、繁華街になっています。江戸時代に芋問屋があったのが名前の由来だそうです。途中で饂飩坂と合流します。

 檜坂
山口藩毛利邸(現ミッドタウン+檜町公園)に、檜が多かったからこの名があるらしいです。

 南部坂(有栖川記念公園)
「南部坂雪の別れ」の南部坂(赤坂)とは違います。有栖川公園の南側にあります。有栖川公園が赤坂から移ってきた盛岡城主南部家の屋敷であったことからこの名前があるらしいです。ここには日本基督教団麻布南部坂教会やドイツ大使館があります。

 

 桜坂(港区

明治中期に作られた坂。坂下に大きな桜の木があったらしい。現在も桜並木になっている。福山雅治の桜坂は別の坂らしい。

 


 饂飩坂と朝日神社

 饂飩坂(うどんざか)は外苑東通りから芋洗坂に下る坂です。昔ここにうどん屋があったそうです。芋洗坂との合流点に公衆トイレがあります。合流点からさらに少し下ると「朝日神社」があります。神社のウェブサイトによると大和の武将 筒井順慶の姪で、のちに織田信長の侍女となった「朝日姫」が、渋谷から長者ヶ丸(現青山あたり)を過ぎる途中、草むらに光輝く稲荷の神像と観音の像を見つけ、この神像をお祭りしたのが始まりだそうです。


 御組坂(おくみざか)

 幕府の御先手組(戦時における先頭部隊)の組屋敷があったのがこの名前の由来だそうです。腕に覚えのある猛者たちがこの坂を闊歩していたのでしょう。



 なだれ坂

急な坂で、いつも土砂崩れを起こしていたからこの名がついたそうです。僕も雪崩れて行きそうです。




 不動坂

 短く急な坂です。不動院が坂の途中にあります。おそらくそのためにこの名前があるのだと思います。でも残念な事に、坂の名前を示す札がありません。



 大黒坂

 名前の由来となった大黒天(日蓮宗大法寺)があります。坂上は交差点となっており、暗闇坂の坂上と一本松坂の坂下と交わっています。写真は坂上から撮ったものだす。


 七面坂

 麻布十番二丁目七番と八番の間を登る短い坂道です(小さな坂)。坂上は、大黒坂の坂下部になります。坂の東側にあった本善寺(移転)に七面大明神の木像が安置されていたためにこの名があるそうです。


 
 於多福坂

 鳥居坂の一すじ裏側で東洋英和の裏側の坂です。「真中の低い於多福面」のような坂だという事で名づけられた。決して写っている人がおたふくに似ているからではありません。



 鳥居坂

 タモリさんの坂学会推薦の名坂のひとつです。外苑東通りから麻布十番へつながる長い坂です。東洋英和女学院や旧岩崎邸跡(国際文化会館)、各国の大使館があり高級住宅街になっています。地名の由来は鳥居彦衛門のお屋敷があったという説と麻布氷川神社の鳥居があった、の二説があります。散歩していると外人さんに「おはようございます」とあいさつされたので「グッモーニン!」と返事したら、「グッモーニン!」と帰ってきました。


 一本松坂

 源経基が平将門と戦ったあと、この末に装束をかけたという松が残っています(後ろ)。現在五代目だそうです。


 仙台坂

 元麻布と南麻布の間にある坂です。仙台藩伊達家の下屋敷があったのでこの名があるそうです。


 木下坂

 有栖川宮記念公園の北西脇にあります。北側に大名木下家の屋敷があったのでこの名があります。


 北条坂

テレ朝通りから外苑西通りに下る坂道。坂下に大名・北条家のお屋敷があったらしい。


 紀尾井坂

坂名は町名のように、紀州家・尾張家・井伊家のお屋敷があったことから名づけられた。外堀の土手に向かって登っている。


 

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