大阪、上町台地を歩く part2 天王寺から住吉大社へ

 平成20年11月23日に、林豊著「史跡名所探訪 大阪を歩く」(東方出版)を参考にして歩きました。経路のどの神社も七五三のお参りでいっぱいでした。「鴨なんば」などの名前が残っている様に、昔、難波はネギの産地として有名でした。一方、天王寺は蕪の産地として有名だったそうです。天王寺かぶらが信州に行って野沢菜になり、さらに広島に行って広島菜になったのですね。
 阿倍野区(上町台地の上)と西成区(台地の下)の間を行ったり来たりしながら歩きました。基本的には台地の下は庶民的な町で、帝塚山など台地の上に行くと高級住宅が建ち並んでいるようです。サンフランシスコに行った時、危険を感じたらとにかく坂を上がれと教えられました。日本ではそのようなセキュリティ・レベルに問題はないけれど、そう言う光景を見てその言葉を思い出しました。




阿倍王子神社




 熊野街道沿いにあります。熊野街道は熊野詣での道です(写真、右上)。昔、伊勢参りや金比羅参りが庶民の楽しみでもあったのに対し、熊野詣は、それらとは異なり、きびしい修行の道であったそうです。王子神社とは、熊野詣での途中の休憩と遙拝のために造られたお宮だそうです。熊野街道に沿って熊野九十九王子という末社・王子社が建てられました。ここはその一つと言うわけです。大阪府下で現存するのはこの王子社のみだそうです。和歌山県にも十数社しか残っていないそうです。 境内には、樹齢五百年の楠の大木3本をはじめ楠木や榎木の大木があります。これらの木は霊木として祀られています。立ち並ぶ大きな楠を眺めていると、確かに木の精霊(木霊)の存在を感じます。尊敬できるようないろいろなものに、神の存在を感じるのは日本人特有の感性でしょうか?



安倍晴明神社



東京大手町にある平将門の首塚



 大陰陽師、安倍 晴明の生誕地に建てられています。陰陽師は単なる呪術師ではなく、宇宙の動きを観察し、その徴候を察知し、宮廷のまつりごとに反映して政事に寄与していました。もっともそのころの宇宙は、現代科学の宇宙とはほど遠く、魑魅魍魎が跋扈していた宇宙なのですけれど! 陰陽師の詳細は下記のサイト「陰陽師の謎」に詳しいです。オルハン・パムクの「白い城」を読むと、より近世になりますがオスマントルコに「筆頭占星官」という役職があったようです。国家安寧のために天体学と占星術を職業としていたのでしょう。 安倍 晴明の父は阿倍野に住む安倍 保名、母は霊力を持った白狐だそうです。鬼神(式神)を自在に操る能力を持っていたらしいです。話をおもしろくするためだと思うのですが、平将門の子だという説もあります。右上は東京大手町にある将門の首塚です。
 この神社は阿倍王子神社のすぐ近くで、その末社という形になっています。境内には阿部の王子神社のように、大きな楠が茂っています。また占いコーナーがあります。



北畠公園と北畠顕家墓


 南北朝時代の南朝の重臣、北畠親房の子「北畠顕家」の墓があります。この地は足利市の軍勢と戦い戦死した場所らしいです。



阿部野神社



 平安神宮や明治神宮と同じく明治になって創建された旧官幣社。南朝の重臣、北畠親房や北畠顕家を祀る。北畠一族を祀るためにこの様な立派な神社を建てたのは、明治政府が南朝を正当としたことと関係があるのかもしれない。建武の中興と明治維新は王政復古と言うことで共通点がある。立派な神社ですが、新しい分、支える氏子さんが少ないかも?と思ったりします。



天下茶屋跡


 住吉街道・紀州街道沿いにある。太閤さんが住吉大社にお参りする際に立ち寄った茶屋があったところだそうです。太閤さんは天下人なので。



天神ノ森天満宮




 住吉街道・紀州街道沿いにある。天神ノ森は紹鴎の森とも呼ばれ、「武野 紹鴎」という千利休の師匠にあたる茶人が、晩年に庵を結び隠棲していた土地らしい。右端は飛田新地料理組合から寄進された幟です。



聖天山古墳と松虫塚



 左上は聖天山奥の院という札がかかったところ。元々はかなり大規模な古墳で、松虫塚はその陪塚だったらしい。松虫塚の横にはその優雅な名前の由来が幾通りか挙げてあります。松虫はこの辺りの地名にもなっています。



阿倍寺塔心礎


 奈良時代の寺院で、阿倍氏の氏寺。



住吉大社


第一殿

第二殿

太鼓橋(反橋)

全国の商人が寄進した巨大な石灯籠

 1800年の歴史を持つ高い格式を持った神社。独特の構造と配列を持つ四つの本殿は国宝です。僕たちにとっては2回目の参詣です。第三殿と第四殿は工事中だった。第一殿(左上)ではちょうど結婚式の最中だった。参詣に来た多くの人に祝福してもらっていた。とてもよい光景だった。右上は第二殿です。昔、神社の前は入り江で、大阪の中心的な港(住吉津)となっていたらしい。従って、航海の守護神として知られています。七・五・三参りの家族連れで賑わっていた。地元の人に愛されているのがよく分かった。


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