富田林・寺内町を歩く

 富田林市の寺内町は寺院(一向宗興正寺別院)を中心にして戦国時代に造られ、高い文化を誇った「宗教自治都市」です。およそ450年前作られた町割りの上に、江戸時代の建築物が町並みとして残っており「国の重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。歩いているとまるで江戸時代にタイムスリップしたみたいです。戦国時代末期の大阪平野周辺には、土塁や環濠で守られた自治都市が複数ありました。「平野」「堺」や橿原市の「今井」などです。まるで中世ユーラシアの都市群のようですね。そう言えばトレドもタホ川に囲まれた高台にある城塞都市でした。また寺内町は独裁者・王様が支配するのではなく、町の有力者による合議で自治をしていました。この点は古代ギリシャの都市国家のようでもあります。
 下の写真にもあるように寺内町は外敵から身を守るために高台の上に造られ、竹藪で囲まれています。また町割りが「あてまげ」と言って敵が入ってきても町を見渡せない構造になっています。このような大阪平野の独立自治都市群は日本の歴史の中でもめずらしいものです。黒澤明の映画「七人の侍」の様に町人達が侍を雇い利用して町を守っていたのかもしれません。「七人の侍」の最後の言葉「「いや、勝ったのあの百姓たちだ。わしたちではない」が思い出されます。
 下の写真はほんの一部で、古いお屋敷はほかにも沢山あります。じないまち交流館や旧杉山家住宅に行くと散策用のマップをもらうことができます。僕たちは2008年8月のお盆、大阪の最高気温が36℃という日に訪問しました。行きは南海高野線・近鉄長野線経由で、帰りは近鉄南大阪線経由です。大阪からだと近鉄の方が乗換えがなくて便利かもしれません。

「追記とリンク」
  • a.今回の訪問で情報収集にあたり、一番お世話になったサイトは、「富田林寺内町の探訪」です。
  • b.富田林寺内町とよく似た環濠集落の武装宗教自治都市として奈良県橿原の「今井」があります。
城之門筋

町の中心を貫く通り。国の「日本の道百選」に選ばれている。
あてまげ

交差点では少しずつ道をずらして見渡せないようになっている。
旧杉山家住宅(国の重要文化財)


もっとも古い母屋の土間は17世紀中頃に建造されたという。1734頃現在の形になった。寺内町の創設期からの旧家で酒造業を営んでいた。内部の見学ができる。
仲村家住宅(大阪府有形文化財)

1783年の表屋造の建築、酒造業だったそうです。
興正寺別院

寺内町衆結束の元となる寺院
越井家

材木商を営んだ。この裏側に長大な米倉がある。
奥谷家

材木商を営んだ。右側は東奥谷家
葛原家

左が葛原家、右が南葛原家で奥に三階蔵が見えます。
田守家

18世紀前半の建物で旧杉山家に次いで古い建築物。木綿屋を営んでいた。
「じないまち交流館(左)」と「寺内町センター(右)」


どちらも無料です。僕たちが行ったときは交流館は有人でエアコン完備、マップなどの資料がもらえます。センターはエアコン無しで無人、ただし博物館的な展示があります。どちらもトイレが使えます。
寺内町を取り囲む石垣

旧東高野街道・旧巡礼街道から町にはいるところです。石垣は新しいものかもしれませんが、大きな段差があり町全体が高台の上にあったのが分かります。石垣の左の高台が寺内町。右側が外側になります。
背割り水路

「背割り水路」は排水路(下水)としての働きのほか、寺内町は9町会から成り立っており、屋敷裏などをめぐりその町境を区切っていた。驚いたことに町割りと同時期に作られたらしい。
道しるべ

町の南西、旧東高野街道から町にはいるところにある道しるべです。町中での「くわえきせる(現在のくわえタバコ)」や「火縄火(携帯用の火種)」を禁じています。この様な火の元の管理の結果、町が焼けずに残ったのでしょう。
道しるべとお地蔵さん

町の北側、旧巡礼街道から町にはいるところにあります。
富田林駅前のミスド富田林駅前ショップ

寺内町周辺には食事をするところがほとんどありません。僕たちは駅前のミスドで冷たい担々麺とカフェオレをいただきました。
川西の「錦織神社」

地内町ではありませんが富田林にある国の重要文化財なのでお参りに来ました。本殿の彫刻や彩色は見事なものです。

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