大阪、上町台地を歩く part1

昔、大阪(大坂)は縦に長い上町台地の上からはじまりました。上町台地は東側は河内湖(淀川や大和川が流入)、西側は大阪湾、北側は旧淀川(現大川)に囲まれて南から半島上になっていたそうです。この台地の上に大阪城・難波宮から四天王寺、さらに住吉大社まで大阪の一番古い町があったのです。

僕たちは、この南北に細長い上町台地を、北は大阪城から南は四天王寺まで何度かに分けて歩きました。このページはその記録ですが、東西南北の位置関係はバラバラになっています。



大阪城とその周辺
上町台地の北端は淀川と大和川の合流地点であり、奈良・明日香にも近く、瀬戸内海からアジアへの水運の拠点であった。この上町台地北端部は古くは難波宮(新・旧)、近世は石山本願寺(一向宗の寺内町)から大阪城へと重要な施設が建てられてきた。
大阪城



言わずとしれた・・・、桃山時代を大阪時代と呼ぶことを望む大阪人もいます。
大阪城の巨石



蛸石と呼ばれる城内第1の巨石。36畳敷きの大きさで、130トンあるそうです。家内の大きさと比べて下さい。

大阪城までたどり着けなかった「残念石」はこちら

難波宮跡

7世紀中葉から8世紀にかけての宮殿跡。孝徳天皇(在位645〜654)が明日香から遷都した前期難波宮と聖武天皇(在位724〜749)の後期難波宮に別れる。明日香や藤原京へは難波宮から上町台地に沿って難波大道を南下し、丹比道を東へ二上山を超えるとすぐだった。大阪が日本の中心だったことは何度かあった。桃山時代もしかり、そしてこの難波宮の時代もそうです。
23年7月15日追記:本日の読売新聞文化面の「宇宙人文学」という記事によると孝徳天皇の難波宮の時代に吹田市からここまで、淀川の上を越え「高樋」によって水が供給されたらしい。この宮殿跡は上町台地の上にあり、高樋はローマ時代の水道のように相当な高さがあったものだと思われます。その姿を想像するとわくわくします。
大阪歴史博物館



2回行った。トルコ三大文明展ではオスマンのすばらしい宝剣を見た。展望台からの眺めがよい。各時代の古い大阪の町が再現されています。

石山本願寺の推定地

大阪城内にあります。1496年に創建、その後浄土真宗の本山となる。信長に滅ぼされ、その跡地に秀吉が大阪城を建てる。大阪平野・奈良盆地に散在する寺内町の一つとして栄えた。

東町奉行所跡

大塩平八郎はここの与力でした。近くに現代の奉行所・大阪府警があります。
舎密局(せいみきょく)の碑

日本で最初の化学の学校・研究所であったらしい。お社があるためか、わかりにくくなっています。ところで「せいみ」はChemistryのCHEMIから来ているそうです。1869年に理系の学校として設立。1889年に京都に移転して第三高等学校のもとになります。



上町台地 その1
3回の訪問から抽出した写真です。
織田作之助のお墓

織田作之助は楞厳寺(大阪市天王寺区)に静かに眠っている。
NHKが夫婦善哉の最終回を放映した翌日である平成25年9月15日に訪問した。織田作は1946年(昭和21年)12月に結核による大量の喀血。以後病状が次第に悪化し、翌年の1月10日に死去。享年33歳であった。織田作の出身校高津高校のすぐそばにある。
織田作之助生誕の地(天王寺区上汐町 4丁目27番地)


写真は上汐町の吉田建材株式会社のビルです。住所からおよそこのあたりだと思うのですが?昔は谷町筋はもっと狭く谷町筋から入った筋に面した仕出し屋さんだったようです。
 夕陽丘の散策の道


夕陽丘の名前がある通り、台地になっているので夕日がきれいです。道路に埋め込まれた標式をつたって行くと良いです。平野にも同様の標式がありました。
上町台地清水坂の滝



清水坂は天王寺七坂の一つ。上町台地から西に向かって流れ落ちる。
大阪市内で唯一の滝だそうです。
・・・なぬ、これが滝?やっぱり分からん!

安居神社


真田幸村が大坂夏の陣で戦死した地と伝えられ、石碑が建てられている 


愛染堂と愛染かつら


左上の多宝塔は豊臣秀吉再建のものであるが、大阪市最古の木造建築物で国の重文。
右上の「愛染かつら」は「花も嵐も踏み越えて」で有名な映画のモデルになった木。
桂とノウゼンカズラが一体となった姿は「恋愛成就・夫婦和合の霊木」と親しまれている。



高津宮と五代目桂文枝之碑


浪速の地を皇都(高津宮)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を王神と仰ぐ神社。
 古典落語「高津の富」の舞台にもなった。子ども義太夫や落語会など浪花の伝統文化のイベントがある。
右上は上方落語協会四天王の五代目桂文枝の碑。高津宮で「高津の富」を最期に鬼籍に入る。



くちなわ(口縄)坂と織田作之助の文学碑、それに猫さんも!


くちなわとは大阪で蛇のことだそうです。僕と使っているATOKで「くちなわ」と入力し変換すると「蛇」と出てきます。蛇のようにうねうねと木々の間を上町台地に向かってのぼっている姿から付けられた名前のようです。織田作の生家からくちなわ坂を下りて西に進むと黒門市場から難波に至ります。右下は暑い日に口縄坂でくつろぐ猫さんの家族です。



生國魂神社と浄瑠璃神社


神武天皇東征のおり、摂津の国石山崎(現在の大阪城附近)に鎮座したのが始め。豊臣秀吉による大阪城築城に際し、現在地へ遷座された。本殿と幣殿を一つの屋根で繋ぐ建築様式は“生國魂造”で、日本で唯一という貴重なもの。右上の浄瑠璃神社は、文楽の守護神として、音律和調霊神を祀り、相殿に文楽先覚者の霊を祀る。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



文楽・人形浄瑠璃は近畿圏で大きく花開いた日本のエンターテインメントであり総合芸術でもあります。
左上は初代竹本義太夫の生誕地の碑、天王寺近くの谷町筋にある。真ん中は四天王寺近くの超願寺にある竹本義太夫のお墓。竹本義太夫はは独特の義太夫節を創始して、浄瑠璃の黄金時代を築いた。右上は文楽・人形浄瑠璃のための国立文楽劇場、千日前にある。




上町台地、その2 玉造周辺から南へ歩く
2007年8月14日、最高気温36.5°という猛暑の中を歩いてきました。以下は歩いた順です。玉造周辺は上町台地の上にあり、上町から谷町そして松屋町筋と坂になって下っていきます。
玉造温泉

山陰の名湯・玉造温泉と同名。「たまつくり」の地名は古代、勾玉造りの工房・部族が暮らしていた場所を示すものらしい。
玉造稲荷神社

豊臣秀頼寄進の鳥居が残っている。またこの神社が伊勢参宮街道の起点でもあり、窓口では伊勢巡礼のためのガイドブックを売っている。
大阪カテドラル 聖マリア大聖堂

カトリック大阪大司教区司教座聖堂。日本で大司教さまがおられるのは東京、大阪、長崎だけだそうです。中のステンドグラスは素晴らしいです。またエントランスの両サイドには高山右近と細川ガラシアの銅像が建っています。
越中井


細川ガラシャの終焉の地と言われる。
細川ガラシャのお墓はこちら。
大阪女学院のヘイル・チャペル

ヴォーリズ設計のチャペル。園内は部外者が入れないため、玄関ゲートからの写真です。ここから見てもアール・デコの香りがします。
黒門小雀弥

お昼ご飯は人形と結納で有名な松屋町の黒門小雀弥で細麺の冷やしうどんをいただく。腰が強くておいしい。


空堀町と空堀商店街


空堀商店街と空堀町は東西に長い町です。大阪城防衛の空堀が掘られた跡だそうです。戦災で焼け残った古い住宅や細い路地が沢山残っています。ビルやマンションが多い大阪の都心にこんな庶民的な商店街があることにびっくりしました。上町台地に向かって東西に長い坂になっています。追記(2009年3月):ところで万城目学のファンタジーノベル「プリンセス・トヨトミ」ではこの商店街周辺が舞台になっている。


近松門左衛門のお墓

上左が現在のお墓です。上右は本来お墓があった場所です。いずれも道路に面しています。
尼崎廣済寺にあるお墓
曽根崎心中
伊原西鶴のお墓



誓願寺にある伊原西鶴のお墓です。
圓珠庵

大阪冬の陣の時、真田幸村が戦勝を期して神木に鎌を打ち込んだという伝説がある。現在も必勝祈願の鎌が沢山打ち込まれている。
真田山公園

真田の名前が残る公園です。
心眼寺

真田幸村ゆかりのお寺、門には真田幸村家の家紋「真田六文銭」が刻まれている。
三光神社

三光神社には大阪城にぬけるという「真田の抜け穴」が残っている。
宰相山公園

宰相山公園には陸軍省所轄地という看板があり、軍人さんのお墓が沢山ある。偶然にもちょうど終戦記念日の前日に訪れ拝礼する。右は入り口で見かけた猫さん。
青刻昆布発祥の地

「昆布は関西、海苔は江戸」のものだと思います。北前船で運ばれた昆布は蝦夷地から大阪に集まりました。大阪のだしの旨さ、もっと言えば関西の料理文化の高さは、この昆布によってもたらされたと言えます。

合邦辻閻魔堂 (がっぽうがつじえんまどう)

天王寺近くで上町台地の坂の一つ逢坂に面してあります。有名な浄瑠璃「摂津合邦辻」は、この合邦辻閻魔堂を舞台にしたものだそうです 

堀越神社

大阪では「堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん」と言われているそうです。最近はやりのパワースポットでもあるようです

てんのじ村

このあたりは道頓堀・千日前・新世界などの演芸街に近かったため、多くの芸人が暮らしていたそうです。
だんじりや

大正九年創業のだんじりを造るお店。天王寺区逢坂にある。
大阪ならではのお店です。



四天王寺と住吉大社
四天王寺

西暦593年に建立された法隆寺と並ぶ歴史と伝統のあるお寺です。日本で一番古い会社 金剛組 (写真下)が当初の建築に関与している。
住吉大社

全国の住吉神社の総本社。海の神である住吉三神を祀る。古代は海に面しており、大和政府の使節は住吉の津から朝鮮半島や中国へ航海していた。その安全のための航海や外交の守護神だった。
四天王寺の極楽浄土之庭


金剛組

ウエブサイトによると、 創業は飛鳥時代第30代敏達天皇6年(西暦578年) 。 聖徳太子の時代から続く日本で一番古い会社です。
追記:平成24年9月3日の読売新聞によると現代まで続く世界最古の企業だそうです。


庚申堂

四天王寺の南側にある。庚申信仰に基づいている。四天王寺を構成する寺院の一つのようで、従って基本的には仏教のようです。三猿さんの像があちこちにある。ここから南に向かって庚申街道が続く。




天王寺公園
茶臼山古墳と川底池

茶臼山古墳は被葬者不明、5世紀頃の古墳だそうです。茶臼山は大坂冬の陣では徳川家康の本陣となり、夏の陣では真田の本陣となりました(茶臼山の戦い)。
川底池は和気清麻呂が、大和川や河内湖の排水と水運のために上町台地をここで開削しようとして失敗した跡地といわれているそうです(下の概念図参照)。
大阪市美術館


2008年10月、佐伯祐三展で来たときの写真です。また以前はフェルメール展を見に来たことがあります。玄関ホールは大理石造りで素晴らしいものです。また通天閣が正面にあります。



古代の上町台地の概念図
A:新・旧難波宮
  石山本願寺
  大阪城
B:四天王寺
C:住吉大社

D:渡辺津
E:難波津
F:住吉津


 上町台地は東側は河内湖(旧淀川や旧大和川が流入)、西側は大阪湾、北側は旧淀川(現大川)に囲まれて南から舌状の半島になっていました。この台地は天然の要塞であり、大和・明日香から朝鮮半島・大陸への窓口でもありました。この台地の上に難波宮から四天王寺、さらに住吉大社が建設され、大陸への窓口である港湾が作られたのです。



「めっちゃええとこやで 大阪!」に戻る