西船場・堀江界隈・福島を歩く

西船場という正式な言葉は無いかもしれません。ここで言う西船場と堀江は、おおよそ北は大川から南は道頓堀あたりまで、東は西横堀川(現在、高速道路)から西は木津川までを指しています。両者を分けるのは長堀で、北が西船場、南(島之内の東)が堀江になります。

略図にすると下のような感じでしょうか。境界は縦線が左から木津川・西横堀川・東横堀川、横線が上から大川(土佐堀川)・長堀・道頓堀です。
西船場
船場
上町台地
堀江
島之内

西船場界隈のレトロビルはこちら


 川口居留地跡
大阪の外国人居留地であった場所。
慶応4年7月(1868年)居留地26区画が売却され「大阪川口居留地」の歴史が始まった。明治32年(1899年)に居留地が撤廃されるまで、この付近は洋館や教会が並んでいた。木津川の川向かいに大阪府庁があった。さらにその東側には船場の商店街がひかえていた。昔は大阪の中心地だったのです。
本田小学校にある川口居留地跡の碑

 大阪に現存するもっとも古い教会だそうです。川の中洲ので、元々地盤が軟弱で建物が沈下した上に阪神大震災で大きな被害を受けたそうですが、世界中から5億を超える寄付が集まり、再建されたそうです。中も拝見させて頂きましたが、モダンなステンドグラスが素晴らしく美しいです。  碑文によると川口基督教会以外に大阪のミッションスクールの多くはここが発祥の地である。
 親愛女学院、照暗女学院(現 平安女学院)、プール女学院、三一神学校(現 桃山学院)、ウィルミナ女学校(現 大阪女学院)、マリア女子神学校、聖バルナバ病院などです。



 西船場・堀江界隈を歩く
2009年7月の海の日に5時間かけて歩きました。

雑喉場魚市場跡
江之子島にある。木津川の川向かいが川口居留地になる。この辺りに大阪府庁があった。

木津川橋
大阪府庁があった江之子島・阿波座と川口居留地を結ぶ橋。慶応4年に建てられ、大阪の海外への窓口となった。

御霊神社
「ごりょうじんじゃ」と読む。昔、境内に文楽座があった。文楽は大阪の人の娯楽だったのです。今で言う映画館のようなものだったのでしょう。

土佐稲荷神社
大阪は天下の台所、各藩が蔵屋敷をおいた。その名残で各藩の名前がいろいろな形で残っている。

靱公園
大阪のセントラルパークです。

中沢佐伯記念野球会館
日本高等学校野球連盟があります。

阿弥陀池
和光寺にあります。あみだ池はこの辺りの地名にもなっています。阿弥陀様が姿を現されたそうです。

大阪商業講習所跡
大阪は商業の町。大阪市立大学の始まりになるそうです。

新町九軒町跡
全国で三個所、大阪で唯一の幕府公認の格式の高い遊廓があった。新町演舞場跡はこちらです。


新町九軒町跡の碑がある新町北公園にいた花魁猫さん。足の崩し方が色っぽい?

大阪材木会館
この辺りで昔木材市が開かれていた。

鰹座跡
鰹節の市が立っていた。

玉生堂跡
幕末の学者、藤井藍田の私塾跡。

新町砂場
新町南公園にある。元々は大阪城築城の折りに工事用の砂をおいたためにこの名があるらしい。蕎麦は「藪」「更級」「砂場」の三つの系統に分けられるがその一つ「砂場」の発祥地である。

木村兼葭堂跡
江戸後期の博物学者

勧進相撲発祥の地


日本基督教団 大阪教会
ヴォーリズの設計です。重厚な煉瓦造りです。ロマネスク様式というのでしょうか?

朝日新聞発祥の地

子供の時から今に至るまで、我が家の新聞はずっと朝日新聞でした。マスコミの役目は権力を監視すること、朝日新聞はずっとそれを続けていると思います。



 福島界隈を歩く

福沢諭吉生誕の地



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