異文化の町・コリアタウン     

 太古の昔、大和川や平野川は上町台地の東側を北上し、淀川へ合流して大阪湾にそそいでいました。そのため、昔このあたりは湖(河内湖)が広がっていました。ここには沢山、大陸の交易船が行き交ったと考えられています。このころから多くの渡来人がこのあたりに定着していきました。江戸末期の長崎のように、海外の進んだ文化の入り口になっていたのでしょう。今回は「大阪あそ歩」のマップに従い、環状線の桃谷駅から鶴橋駅まで歩きます。

 桃谷商店街

桃谷の地名の由来は、このあたりに桃畑が広がっていたからだそうです。とても庶民的な商店街です。途中に猫間川(暗渠)という川がありますが、これは高麗(こま)川が訛ったものだそうです。

大阪名物イカ焼きの発祥店「桃谷いかやき屋」
残念ながらお休みでした。イカ焼きと言ってもイカの姿焼きではありません。大阪特有のいわゆる「こなもん」です。
つるのはし跡

文献上、日本最古の橋です。湿地帯の河内湖はよくツルが飛来したので、いつしか「つるのはし」と呼ばれるようになりました。鶴橋の地名の語源です。大和・河内・摂津あたりは古代日本文化の発祥地、日本初はたくさんあります。

 
猪飼野(いかいの)保存会と平野街道道標
猪飼野は鶴橋から桃谷にかけてのJR大阪環状線東側と平野川に挟まる地域です。住居表示の変更によって猪飼野の地名が消滅しました。地名の由来は、古代に多くの「渡来人」がこの地にやってきて、その人たちがブタ(猪)を飼う技術を持っていたことによるようです。特にこの地域は百済からの渡来人が多く古くは「百済郡」と呼ばれていたそうです。
写真中央にある平野街道道標には「右 八尾 久宝寺 信貴山」「左 大阪」と刻まれています。
 
木村権右衛門家屋敷跡と御神木
「猪飼野から生駒の山すそまで他人の土地を踏まずに行けた」という富豪・木村権右衛門邸宅跡です。現在は駐車場になっていますが、樹齢400年の椎の木のご神木と、立派な石灯籠、庭石が残されています。
 
大東邸

笠屋儀兵衛と称した大東家のお屋敷です。

 
安泉寺
竜宮城を思わせる立派な鐘楼門を建立しました。第18代木村権右衛門(源尚敏氏)が独力で寄進したそうです。
 
御幸森天神宮

仁徳天皇が鷹狩りで行幸したので「御幸の森」と呼ばれるそうです。反正元年(406)に猪飼野の人々が天皇のご神霊を祀ったことが神社のはじまりだそうです。


 
御幸通商店街
日本最大のコリアタウン。大正11年(1922)に大阪・築港〜済州島に定期船「君が代丸」が就航したことで済州島出身の方が多いそうです。
 
猪飼野新橋

平野川に架かる橋。支柱は勾玉になっています。環状線で梅田に向かうと勾玉を作った工房が集まっていたと思われる地名「玉造」があります。


 
弥栄(やえ)神社

文禄年間(1592〜1596)に出雲の熊野坐神社(現在の松江市・熊野大社)より勧請しました。社殿は熊野大社の原寸を計って、それを縮尺して建設した三間四方の大社造です。大阪で大社造の神社に出会うとは思いませんでした。

 
鶴橋商店街
まるでイスタンブールのバザールやアルジェのカスバのようです。

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