柴島・崇禅寺を歩く   
 平成23年7月17日に歩きました。柴島(くにじま)という名前のとおり、淀川の右岸で淀川と神崎川に囲まれた中州になっています。淀川河口付近の中州は、淀川によって運ばれた土砂が堆積してできたもので、難波八十島と呼ばれています。このあたりから淀川河口にかけては島の字のつく地名がたくさんあります。
 淀川はこの地に水運や木綿のさらし(柴島晒)などの水利をもたらしました。近代以降は上水道の水源ともなりました。また反対に洪水などの災害ももたらしてきたものと思われます。このような環境にある柴島は古くから開かれた地で天平時代には摂津の国分尼寺がおかれました。平安時代には柴島荘(アパートではありません、荘園の名前です)が置かれ、室町時代には細川家の居城、柴島城が置かれました。


崇禅寺
 もともとは足利六代将軍 義教(よしのり)を謀殺した播磨の守護 赤松父子がこの地の観音堂に義教の首を埋葬したことが始まりらしい。境内には義教の首塚や細川ガラシャのお墓がある(写真右下)。また浄瑠璃の演目「敵討崇禅寺馬場」の舞台になった記念の石碑や、その際に仇に返り討ちにされた遠城兄弟の墓があります。細川ガラシャの終焉の地はこちら
  摂津県・豊崎県県庁所在地跡

 明治維新で県庁がおかれました。そういえば堺に行ったとき、堺の本願寺堺別院には堺県庁址の石碑がありました(本サイトの「堺を歩く」を参照してください)。明治初期に県庁がおかれたときにその地域の大きなお寺が使われたようです。 


中島惣社
 長い歴史を持ち、地元の人の信仰を集める神社です。もともとこのあたりは鬱蒼とした松林に囲まれ、淀川に間近く「総社の浜」と呼ばれていたそうです。ちょうどこの上を伊丹空港へ着陸する飛行機が通ります。
 


柴島神社
 淀川土手のすぐたもとにあります。もともとは淀川河川敷きにあったそうです。境内には淀川の水流を利用して木綿を晒した「柴島晒ゆかりの地」の記念碑があります(写真右下)。この記念碑には難波百景から「柴島晒堤の図」が示してあり、ここには堤に晒した布木綿を敷いて乾かしてる風景が描かれています。柴島城はこのあたりにあったと考えられています。
   


法華寺
 聖武天皇の勅令により全国に配置された国分尼寺のうち、摂津の国の国分尼寺を引き継いでいる寺だそうです。境内には国分尼寺の礎石が置かれています(写真右下)。見学させていただいている時に、ちょうど出かけられていたご住職が帰ってこられ、礎石の場所を教えていただきました。


柴島浄水場・水道記念館
 柴島駅一帯には広大な敷地の「大阪市営柴島浄水場」があります。淀川の水利の一つです。その淀川べりに赤レンガと御影石のネオルネッサンス様式の建物があります。これが国の有形文化財に指定されている水道記念館です。水道の仕組みの他、淀川の生き物などの勉強ができます。右下の写真はそう魚です。入場無料です。
 場内ではペットボトル入りの大阪の水「ほんまや」が売っています。一本百円です。ウソではありません、「ほんまです!」

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