石見銀山
戦国時代から江戸時代まで日本を、いや世界を代表する銀山のひとつだった。最盛期は世界の銀の三分の一を産出していたらしい。特に安土桃山時代から江戸時代初期までが最盛期で、シルバー・ラッシュに沸く人口二十万の一大鉱業都市だったらしい。今では人口五百人ほどの小さな村に、当時の大阪や京都の人口が集まっていたことになる。江戸幕府の管理が強まるまでは、産出した銀は銀山街道を通り日本海へ運ばれ、博多商人の東アジアネットワークに乗って海路で世界へ広がった。そのため石見銀山の名前は南米ボリビアのポトシ銀山などと並び、ヨーロッパで描かれた多くの古地図に記載されている。石見銀山の鉱山技術者や製錬技術者はその後、佐渡金山や生野銀山に招かれた。これらの地区には今でもその末裔である石見や岩見姓が多く残っているらしい。地元では世界遺産への登録を進めている。

石見銀山ミュージアムのサイト(お勧め)
龍源寺間歩
一般に公開されている坑道、江戸時代に開発されたもの。
佐毘売山神社(さひめやま)
製錬の神様「金山彦命」を祀っている。この神社の裏をさらに山頂にむかって登っていくと、初期の良質な鉱山や精錬所の遺跡(出土谷)が残っているらしい。
高橋家(銀山町年寄山組頭遺宅)

番所の内側(柵内)で大森の町から外れた鉱山地域の中にある。年寄は町の運営に係わる役職、山組頭は代官所と銀山師たちとの間を取り持つ役職。

代官所長屋門と代官所跡に建てられた石見銀山資料館
旧河島家住宅 代官所地役人の館
熊谷家住宅
石見銀山で栄えた商家、こんな山奥にこんな豪邸が!と驚いてしまいます。地下蔵があります。
青山家住宅(非公開)
郷宿田儀屋の遺宅
羅漢寺と五百羅漢
銀山で働き亡くなった人々を供養するために建立された。石窟の中の羅漢さんたちは、生き生きとして、一人一人が様々な表情をしておられる。左は1987年11月、右は2006年10月の写真です。
蔵泉寺口番所跡
銀山の検問所があった。銀山の玄関に当たる。
旧大森区裁判所(町並み交流センター)
古い裁判所の姿が良く残っている。こどもの頃は各町に裁判所があったような気がする。
中村ブレイス株式会社
義肢の製作で大変有名な会社、島根県の会社だとは知っていたけど大森町が本社だとは知らなかった。映画「アイ・ラヴ・ピース」が撮影された。
うめの店
お昼ご飯を食べた。暖かいコンソメスープとカレーライスがおいしかった。

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