平戸切支丹紀行


     平成20年の11月はじめ、平戸市の生月島・平戸島・田平と巡りました。クリスチャンでもないのに教会や殉教地を巡る、まるで巡礼の旅でした。最初は「隠れ切支丹」というどこかロマンチックな言葉と、そこで織りなされる中世日本の特殊な歴史に好奇心を覚え、始めた旅でした。言ってみれば社寺めぐりのような軽い気持ちでスタートしました。でも間近に隠れ切支丹の殉教の苦難の歴史を見ていると、彼らの信仰を守る力の強さをひしひしと感じます。そんなにまでして守る心の強さの源はどこにあったのでしょうか?その謎は今でも解けません。平戸を巡りながら僕たちはに、景観の美しさや人々の暖かさに加えて、巡礼地の雰囲気に心が洗われているように感じました。今回の旅も僕たちに沢山の思い出を残してくれたようです。

      参考図書
      • 遠藤周作著「沈黙」 新潮社
      • 渡辺千尋著「殉教(マルチル)の刻印」 小学館
      • 宮崎正勝著「ザビエルの海」 原書房



平戸島地区



聖フランシスコ・ザビエル記念教会

 平戸の象徴的風景「寺院と教会が見える風景」の中心です。複数の尖塔状の構造を持ったゴシック様式の建築です。ゴシック様式の特徴で、すべてが天に向かっているように見えます。
 僕たちが訪れたのは、ちょうど日曜日のミサが終わるところでした。中から沢山の信徒さんが出てこられました。ご老人も多く、皆さんが上着を着てきちんとした身なりをされていたのが印象に残ります。当たり前のことですが観光だけではなく、地域の生活に密着した教会なのですね。
 教会の前の売店でお土産を買いました。



宝亀教会

 明治31に建設され、平戸島で現存するものの中では最古の教会です。小高い山の上にあります。家内曰くファサードを見るとチョコレートケーキのようだと!本当にチョコレートケーキのようにかわいい教会です!でも側面は全く違った姿・色・構造をしています。木造でなんとテラスが付いているのです。コロニアル風な趣があります。童話の世界の教会のようですね。



紐差教会

 長崎に於ける教会建築で有名な鉄川与助の作品です。がっちりとしたロマネスク様式です。なんと長崎県では浦上天主堂に次ぐ大きな教会だそうです。平戸島のほぼ中央部の紐差部落にあります。平戸島の、しかもこんな田舎に(失礼)こういう大きな教会があると言うことがすごいことだと思います。ファサードは四角い立体を組み合わせたようなシンプルな姿でがっしりと安定感があります。



平戸市切支丹資料館

 この資料館がある根獅子地区は殉教の地であり、生月島と並んで隠れ切支丹の里でもあります。隠れ切支丹の資料が展示されています。この辺りに未だ残る隠れ切支丹(納戸神信仰)の歴史・習慣が次第に薄れていくため、散逸して消滅しないように資料館にされたようです。下記のうしわきの森のすぐ隣で、根獅子(ねしこ)の浜と昇天石のすぐ近くです。またこの資料館のサイトの「平戸地方のキリスト教歴史」はとてもわかりやすいのでお勧めです。



うしわきの森(おろくにん様)・昇天石と根獅子(ねしこ)の浜
    うしわきの森の入り口
    根獅子の浜の昇天石(左後方)

 昇天石の上ではおろくにん様(六人の殉教者)をはじめ、70名以上の切支丹が惨殺され殉教したそうです。その時、海が真っ赤に染まったといいます。また根獅子の浜には中江ノ島で斬首された切支丹の頭が流れ着いたそうです。そしてその殉教者達が埋葬されたのが左上のうしわきの森です。うしわきの森を歩くと、不思議な霊気が漂っているように感じます。

 現在は、マリア様が、多くの殉教者が出た根獅子の浜の昇天石を、優しいまなざしでじっと見つめているます。そう言えば南米では道ばたでマリア様の祠をよく見かけました。ちょうど日本のお地蔵様や石仏の感じでした。それぞれに何か意味があったのですね。


崎方公園のフランシスコ・ザビエル記念碑

 宮崎正勝氏の「ザビエルの海」(原書房)を読むとザビエルの苦難とそれを乗り越えていく強い意志に驚かされれます。日本にとっては鑑真と並ぶ布教者でしょう。同じイエズス会の使命感に満ちた、命をかけた布教と言うことでは、南米を舞台にした映画「ミッション」を思い出します。「ザビエルの海」を読むとポルトガル人とスペイン人は貿易と布教が一体化していたのがよく分かります。一方、英国人(新教)やオランダ人は、より近代的な考え方で貿易と宗教を切り離していたのですね!「布教は布教」、「ビジネスはビジネス」なのです。またこの当時のポルトガルとスペインの日本に対する図式は「イエズス会−ポルトガル−秀吉体制」vs「フランシスコ会−スペイン−反体制」と言う形だったようです。
 ところで東南アジアでの布教活動は、本人達がカトリックへの改宗を望んでも「聖職者による洗礼などの秘跡の実施(辺境地には司祭がいない)」や「異教徒の妻との同棲禁止」などイスラムへの改宗に比べ、物理的な困難も伴ったようです。また本書によると、当時の日本の国際貿易ネットワークは博多商人が動かす「平戸・博多ライン」(石見銀山の銀貿易など)と、堺商人が動かす「鹿児島・堺ライン」があったらしいです。このラインに乗ってザビエルは当時、日本随一の国際貿易港で自由都市・東洋のベニス「堺」に向かうことになります。



田平(たびら)地区
平戸の九州本島側です。



カトリック田平教会

 
 鉄川与助の代表作の一つです。国の重要文化財に指定されています。また世界遺産登録をめざす「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとなっています。赤い煉瓦造りのロマネスク様式です。
 広々とした小高い丘の上にあります。まるでヨーロッパの田舎の教会に来たみたいです。建築芸術として教会を観賞した場合、平戸で一番美しいと思います。周りには信徒さんの墓地があります。人々の生活に密着しているのがよく分かって親しみを感じます。墓地は一見、日本の田舎のどこにでもある風景と同じです。墓石も寺院のお墓とそんなに違いません。ただ当然の事ながら墓石の上に十字架が載っています。撮影などにもよく使われるそうです。



焼罪(やいざ)史跡公園

 キリスト教が禁教になった後も、信徒のため帰国せずに日本に隠れ残ったイタリア人宣教師カミロ・コンスタンツォが火刑に処された場所。キリスト教は洗礼やミサなど日常生活の中で秘跡を施し、人々を指導する人が必要なのです。信徒がいる以上、誰かが残らなければならなかったのですね!




生月島地区
隠れ切支丹と捕鯨の島です。



山田教会
鉄川与助の作品。ロマネスク様式。隠れ切支丹の里、生月島の山の上にある。外見は素朴だが生月島とキリスト教の長い困難な歴史を思うと胸を打たれる。



ガスパル様

 訪れたときがちょうど「殉教祭」のお祈りの最中だった。お祈りを捧げる人たちの姿に、生月の人々の間で生きているキリスト教を感じた。この山の上(黒瀬の丘)にある大きな十字架は、生月の信仰の要として最初に布教を行ったガスパル・ヴィレラ神父によって建立された。またここは生月の切支丹指導者ガスパル西玄可が殉教した地でもある。だんじく様は道路からの入り口の看板を見たが、崖の下なので行かず。



中江ノ島

 平戸島の川内峠からの写真です。平戸島と生月島の間にある殉教の島です。この日の天候はうっすらもやがかかって遠くが見えにくかったのですが、島の向こうにうっすらと生月島も見えます。



マリア観音と納戸神信仰、そしてオラショ
     
    平戸市切支丹資料館、生月島博物館 島の館、平戸観光資料館に隠れ切支丹の展示が沢山あります。特に生月島博物館 島の館の2Fには隠れ切支丹の家や納戸神が再現されています。ご興味のある方は是非どうぞ!

 かくれキリシタンの信仰形態には「マリア観音信仰」と「納戸神信仰」がある。五島列島などではマリア観音が中心で、平戸の根獅子地区や生月地方では納戸神信仰が今だに残っている。マリア観音は観音様をマリアに見立てて信仰する。一方、 納戸神は上の写真のように人目に付かない納戸に、お掛絵といわれる軸物やメダイ、浮世絵、人物画などをキリスト、マリアとして信仰するものである。右上の写真では、住まいの中では納戸神と共に神様、荒神様、御大師様、仏壇などが祀られています。

 オラショは隠れ切支丹達の祈りの言葉で、長い間、文字にされず口承されてきました。元々はラテン語のOratioが語源で祈りとか祈祷とか訳されます。車座のようになって唱されるようですが日本語も混ざりますが全体には意味不明です。ラテン語がなまったものだと言われています。CDにされて発売もされています。小生は生月島壱部の長老たちによる「長崎・生月島のオラショ 」を買いました。

 一部の切支丹は、禁教令が解かれた後もカトリックに戻らず(信徒の発見と復活)、納戸神の信仰を続け、そのまま現代に至っています。カトリックに復帰しない理由については、かれらの信仰がもはやキリスト教とかけ離れてしまった(土俗化した信仰)。カモフラージュのためのキリスト教・神道・仏教の混合が本当の信仰になってしまったと言うことでしょうか。