福岡・博多ば歩くばい !!

 平成22年(2010年)5月の連休に、僕たちは一泊二日の福岡旅行にでかけました。九州旅行は長崎平戸門司港に次いで四回目になります。いつも新幹線で関門海峡を越える時、ワクワクした気持ちになります。福岡はちょうど「どんたく」で、街は思い切り混み合っていました。僕たちの目的は「どんたく」ではないので、人混みをさけるように福岡の町を巡りました。JRも地下鉄も西鉄もSUICAが使え、とても便利でした。
 今回の旅のテーマは「いざ、屋台とボタ山へ!」です。


福岡・博多


櫛田神社


社内には見事な山笠が飾られています。博多祇園山笠で有名な神社です。また英語・中国語・韓国語・日本語の四カ国語対応の「おみくじ自動販売機」があります。

住吉神社


全国にある住吉系の神社の中で最初の住吉神社。北部九州にはこの住吉神社をはじめ、天満宮(北野天満宮とともに全国天満宮の総本社)、宗像大社(宗像・厳島系神社の総本社)、宇佐神宮(八幡社の総本宮)など古くて格式の高い神社が多い。日本歴史の始まりの地であることをうかがわせる

箱崎宮


箱崎宮の楼門(国の重要文化財)、博多の人は初詣にここに来る人が多いらしい。長くて立派な参道ではフリマをやっていた。ここも香椎宮もそうだけど、狛犬さんが筋肉質で異常に小顔です。九州の狛犬さんは皆そうなのかな?

香椎宮


西鉄に乗って行った。駅からお宮までの大きな楠の参道が気持ちよかった。でも往復すると遠かったです。太宰府を含め福岡には楠が多い感じがします。写真は重要文化財の本殿。

生の松原の元寇防塁


箱崎宮の楼門の「敵国降伏」の扁額といい、右の蒙古軍艦の碇と言い、福岡には蒙古襲来の記憶が残っている。朝鮮半島・大陸への近さを感じる。石城府という博多の異称があるが、それが実感される
蒙古軍船碇石


博多港の海中から引き上げられた。

福岡市博物館


あの金印を見に行きました。自分で思っていたよりも小さかった。金印はヨーロッパのシグネット・リング(signet ring)と同じ使い方がされたのですね(ただしロウではなく粘土、封泥)。初めて知りました。
鴻臚館(こうろかん)跡


外国(大陸や半島)からの使節を迎え、外交の舞台ともなった古代の迎賓館跡。難波や京にも造られたそうです。

大濠公園


沢山の市民がジョギングやサイクリングに訪れています。家族連れも多く見かけます。池には雷魚かと思われるほどの巨大な鯉がいます。福岡市民の憩いの場のようです。

福岡城跡


お城なので当たり前だと言えば当たり前だが、一度入り込むとなかなか出口が見つからないカフカの城的世界に入り込む。だんだんと夕方になるので少し焦った。

福岡市赤煉瓦文化館


日銀や東京駅をデザインした辰野金吾の設計。僕たちが行った浜寺公園駅はこちら。
旧福岡県公会堂貴賓館


国の重要文化財です。木造のようです。

マロニエの並木


天神あたりにマロニエの並木がある。ちょうど花が咲いていたので気づいた。ここだけちょっとカルチェラタン。
照和


ライブハウス。ここは陽水、長渕など多くのミュージシャンを育てました。



屋台



天ぷらと串焼きで有名な中洲の川沿いの屋台。福井県から来られたご家族連れの方に写真を撮って頂きました。明太子の天ぷらがおいしかった。博多はアジアだ!
呑龍


春吉橋の屋台のラーメン屋。通行人や車に乗っている人に見られながら食べます。同じストリート系飲食店とは言っても、パリの街角のオープンカフェとはずいぶんな違いです。福岡の屋台の文化はとてもエスニック、まるで南アジアに来たみたい!
昼間の屋台


昼間は屋台は駐車場?(正確には駐屋台場)で休んでいます。一日の仕事が済むとそのたびに撤去しないといけないのでしょうね?食べていると結構大きなお店に感じるのですが、こうやってみると見事に折りたたまれて小さくなります。

いざ仕事場へ!


午後になるとカブにひかれて出勤です。良い光景ですね!近代的なビル街の中をトロトロと高級車を引き連れて出勤していきます。これを見て思わず応援したくなりました。



太宰府天満宮

本殿


連休もあってお参りするのに長い列が出来ている。

小さな神牛さま


入り口近くの大きな牛さんは、これまた長い列でこちらの小さな神牛さまと写真を撮りました。頭をなでなでします。

やす武



参道にある蕎麦屋さん。注文したおろし蕎麦にはごまや鰹節がトッピングしてある。僕らの地方では余り見ないスタイル。注文する時に生卵(ウズラではなく鶏卵)をかけるかどうか質問された。これに生卵をかけると蕎麦の味が分からなくなるのでは? でも出された蕎麦は薫り高く、腰があって、上品にカットされたおいしい蕎麦だった。満足です。左上が蕎麦、右上が名物の焼きたて梅ヶ枝餅です。
九州国立博物館


天満宮から博物館への道には少し驚かされます。さらにこんな山の中にこんな立派な箱物が!と驚いてしまいます。特に気に入ったのは螺鈿細工の数々です。キリスト教の祭壇画や螺鈿細工の箱の美しさには感銘を受けました。家内が期待したフリーメイソンの箱は展示してありませんでした



飯塚


ボタ山


五木寛之の小説「青春の門・筑豊編」やリリー・フランキーさんの小説「東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン?」から強いインパクトを受けて筑豊炭田のボタ山というものが見てみたくなりました。今回の旅行のきっかけの一つはボタ山です。

写真のボタ山は筑豊富士とも呼ばれています。こんな大きな山がボタ(製品にならない粗悪な石炭)で出来ているとは驚きです。今は植物が茂って自然の山に見えます。昔は黒いボタの山で、自然発火して火山のように燃えていたらしいです。また近くの井戸は温泉のように湯が出たらしい。お世話になった運転手さんの話だと山に芋を埋めると焼き芋になったらしいです。

飯塚の人の話では筑豊という言葉は筑前の国と豊前の国を無理矢理結びつけたもので田川と飯塚では人も言葉も違うと言われました。地元の人にはいろいろな思いがあるようです。「青春の門」では遠賀川一帯に住む人々の気質を川筋気質(かわすじかたぎ)と言っています。男女とも侠気にあふれ、弱い人を助け、同僚を思い、強くても間違っていることには命をかけてでも闘うという、熱い心を持った人たちが生きている場所のようです。

巻き上げ機


ここから斜坑を行き来するトロッコに向かってロープがのび、トロッコを動かしていた。蒸気機関を動力としたらしい。このすぐ下は道路だが、元々は石炭積み出しのための線路が引かれていたらしい。
子供の頃、時折テレビのニュースで炭鉱事故を報道していた。その印象が、子供心に強く焼き付いて残っている。
伊藤伝右衛門邸


炭坑王。石炭で財をなした人物の邸宅。歌人で華族の柳原白蓮を嫁に頂いた。

嘉穂劇場


石炭で栄えた筑豊地方だが、中心都市飯塚は最盛期人口が40万を超えていたらしい。筑豊地方には抗夫達の娯楽のための劇場が沢山あったらしいが、今はここが残っているだけです。
内子座はこちら!