世界の宮殿


フランス
ベルサイユ宮殿
 RERでベルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅へ。パリのメトロは降車駅でチケットのチェックがないが、RERでは降車時の改札があった。チケットは降車駅まできちんと持っていた方がよい。宮殿はベルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅から歩いてすぐ。帰りはフランス国鉄でベルサイユ・リヴ・ドロワット駅からサンラザール駅へ、こちらはずいぶん時間がかかります。


プチ・トランで庭園巡り。グラン・トリアノンやプチ・トリアノン、マリー・アントワネットの田舎家など庭園のポイントを巡る。

ベルサイユの町の市場。宮殿からベルサイユの町を通ってベルサイユ・リヴ・ドロワット駅まで歩く。途中に市場があり中を覗いてみました。ジャガイモ2Kで10Fでした。



ルーブル宮殿
 ルーブル美術館も本来は宮殿です。リシュリュー翼の二階にナポレオンIII世のアパートメントなど宮殿の部分が保存されている。でもここまで来る見学者は少なかった。時間があればどうぞ。



エリゼ宮。フランス大統領官邸です。ナポレオンの妻ジョセフィーヌが暮らしたこともあるそうです。


    衛兵です。



ロワール地方のお城

シュベルニー城
現在も城主のご家族が住んでおられる。書斎には当主ご夫妻の新婚の写真が飾ってあった。


シュノンソー城
川の上に立っている。代々の城主が女性で、その女城主を巡り様々な物語がある。


シャンボール城
広大な敷地に立っている。屋上にはベニスの町が再現されている。城中(下右)にはダ・ビンチが設計したと伝えられる二重構造の螺旋階段がある。まるでDNAの二重螺旋のようだ。ロワール地方にはパリから出る日本人向けのバスツアーで行った。
 



マドリッド
 王宮、18世紀半ばに出来たもの。現在の王家はサルスエラ宮殿に住み、こちらは公式行事などに使われているようです。沢山の薬瓶だけを集めた部屋があった。

    こちらは入場券、入場に際しては荷物のレントゲン検査があった。



ハワイ
イオラニ宮殿。次のツアーまで待ち時間が相当あったため、子連れでもあり内部には入らなかった。



ウィーン
シェーンブルン宮殿
 マリア・テレジアの趣向で造られた夏の離宮です。地下鉄で(途中から地上を走る)開園の1時間ほど前、まだ薄暗い時間に到着した。開園前に人っ子ひとりいない庭園を散策し、グロリエッテまで歩きました。グロリエッタからはウィーン市内を一望できます(右下の写真)。宮殿建築としてはベルサイユと双璧をなすものでしょう。先日テレビで見ていたらこの宮殿は大戦後に被災者のアパートとしても利用されたそうで、その名残で普通の住民が住んでいる区画があるそうです。

    入場券です。



王宮(ホーフブルク)では皇帝のアパートメントを見学。エリザベートの部屋には自らの美しさを維持するためのエクササイズ用器具が展示されている。


    入場券にはエリザベートの姿が描かれている。


    アパートメントへの入り口です。

ベルヴェデーレ宮殿は美術館になっています。



イスタンブールイスタンブールの旅と重複します)
トプカプ宮殿

    (表敬の門)

    (幸福の門)

    (皇帝の広間)

    (皇子の部屋)

 明らかにヨーロッパ的宮殿と異なった構造をしている。遊牧民のテント村がそのまま豪華な宮殿になったような造りである。つまり大平原の上にそれぞれの役割を持った丸屋根やとんがり屋根のテント(ヤル)を並べた感じなのだ。式典なども中庭で行われた。貴人は庭から小さな謁見の間の独立家屋(テントの名残?)に通された。図書館も侍医の部屋もテントサイズの独立家屋で、すべてそう言う構造になっている。宝物館の財宝が素晴らし。我々が訪問したときはちょうど日本でトプカプの至宝展をやっており、黄金のゆりかごなど数点が不在だった。

 どのガイドブックにもハレムの見学はツアー形式と書いてある。僕たちもそうだと思ってハレムが開く20分くらい前に並んだ。僕たちの前は先頭の三人ずれのアメリカ人でその次だった。やがてゲートが開いて10数人のグループ(僕たち以外は欧米人)で入っていくとつれて入った女の子が英語が話せないことを発見、アメリカ人がイングリッシュツアーだろと聞いても分からない。後ろの人がスパニッシュツアーはないか?聞く。係員が電話をしているようだがらちがあかない。アメリカ人のイングリッシュツアーという言葉が分からないので、僕がターキッシュガイドなのかイングリッシュガイドなのか?と聞くとアメリカ人もイングリッシュガイド?と繰り返すが分からない。やがてアメリカ人がグループ全体にイングリッシュガイドを要求する多数決をかける。僕たちに手を挙げろと言うので挙げる。でも係員は英語が分からずそのまま退散。アメリカ人が一言「セルフガイドなんだ。」それに同意。結局ガイド・ツアーではなかったのだ。

 トプカプ宮殿の博物館など主要なところには、荷物と人のチェックがある。トプカプではかなりの頻度で人が通るとピーピー鳴っていたが、そんなのお構いなしに通過させている。もっとも一人一人ゲートを通るのではなくぴったりくっついた状態で人を通らせているのでどうでもよいようだ。ところで例によって野良猫さんもトプカプ宮殿の中に入ってきていた。この場所はギリシャ時代には神殿があったところに当たるらしい。

ドルマバフチェ宮殿

 ボスポラス海峡に面して造られた。従ってエントランスは陸と海(船)の両方からとられている。僕たちはセラムルクの英語ツアーだけ参加する。オスマンとヨーロッパの様式の調和というかぶつかり合いというか?ものすごいものだが美しいと思うかは見る人によるであろう。左は帝位の間でビクトリア女王から贈られた巨大なシャンデリアがある。



ブダペスト
王宮の丘「漁夫の砦」。後ろにあるのはハンガリー王国初代の国王、聖イシュトヴァーンの銅像。マジャールの言葉はモンゴル、韓国・朝鮮、日本の言葉とよく似てウラルアルタイ語と分類されることがあります。実際ハンガリーでは住所の表記も日本と同じように大きな住所から小さな住所へ(Yonago,Tottori Pref でなく鳥取県米子市)記述するそうです。僕たちは昔、中央アジアで一緒に暮らしていて、ある日「それでは!!」と言って騎馬民族であるマジャールの人たちは西へ、そして日本人の起源は東の方へ別れていったのかもしれません。ということは僕たちにとって久しぶりの再会(?)です。



ローマ
ヴェネツィア宮殿(左上)とエマヌエーレII世記念堂(左下)。ムッソリーニが演説をしたというヴェネツィア宮殿は工事中だった。いずれもローマの臍と呼ばれるヴェネツィア広場にある。エマヌエーレII世は1870年にイタリア統一を果たした。ということは統一国家としての近代イタリアの歴史は以外と浅い。そういえばイベリア半島も現在の国境は王朝の合従連衡の結果とも言える。右は最高裁判所(Plazzo di Giustiza)



クイリナーレ宮
 教皇の宮殿から、イタリア統一後は王宮に、そして共和制が敷かれてからは大統領官邸になっている。



バルベリーニ宮殿
 現在は美術館(内部の写真です)、ローマの休日ではアン王女の滞在地となっている。



バッキンガム宮殿
バッキンガム宮殿とステートルーム
 バッキンガム宮殿の内部がちょうど開放されていて見学できた。レンブラントをはじめ王室所蔵の名画も鑑賞できます。内部は写真が撮れないのでこれは中庭側から撮ったものです。広いお庭には右の写真のようにリスや鳥が沢山遊んでいます。ポストカードを買ったが内部の写真のものはなかった。
バッキンガム宮殿
世界中の人が集まっています。
ステートルーム
内部は写真撮影不可なのでお庭からの写真です。




琉球
首里城
 1975年、新婚旅行に沖縄に行った。神戸から船に乗って一日半かかった。当時の首里城は戦災のために、建築物は守礼の門だけだった。再建された首里城を見にもう一度行ってみたい。右下はその当時の南西航空の時刻表。本当は石垣島に行く予定だったが飛行機会社のストで行けなくなった。代わりに日帰りで久米島に行った。でも久米島もリーフが美しく、とっても良かった。