村上春樹をめぐる冒険



 僕たちは大の村上春樹ファンです。僕が初めて村上春樹を読んだのは、ハードカバーで箱入りの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』だったと思います。続けて『羊をめぐる冒険』を読みました。『ハードボイルド・ワンダーランド』の「一角獣の住む壁に囲まれた世界」の美しい静寂感や、羊男の世界の不可思議さにひかれました。今でも羊を見るとその模様を観察してしまいます。羊男さんや羊博士さんにも是非一度会ってみたいと思っています。
 村上春樹の作品は、オウム関係の書籍以外はすべての長編・短編・随筆を読みました。村上春樹の世界はどちらも僕が大好きな、カフカ的でもあり安部公房的でもあります。つまり「不条理の世界」が広がります。昔の言葉で言うと実存主義文学に近いのでしょうか?読んでいくうちに謎が現れ、その謎が謎を呼び、どんどんふくらんでいきます。まるで推理小説のようです。でもその謎は100%解決されることはない。読者は読後に一人悩み続けることになります。
 ところでこのサイトのタイトル『僕たちのワンダーワールド』も『世界の終り・・・・』をパクったものなんです。
 


早稲田大学




村上春樹は神戸高校から一浪して早稲田大学第一文学部演劇科に入学した。僕たち夫婦と同い年なので、学生運動が激しかった頃だと思う。学生結婚をし、ジャズ喫茶を経営しながら7年間在学したそうです。

和敬塾


村上春樹は早稲田入学当初、この学生寮にいた。この学生寮は「ノルウェイの森」に詳しく描かれている。特に第2章から第3章に詳しく出てくる。もちろん創作なのでそれがこの寮の真実というわけではないが、寮長の国旗掲揚の様子や同室の突撃隊、東大法学部に通う永沢などの人物像が描写されている。写真は目白通り側の入り口だが、寮の敷地は永青文庫のある神田川まで長い下りの斜面になっている。早稲田へは胸突坂でつながってる。この辺りは椿山荘やこの和敬塾、野間記念館、関口芭蕉庵など広い敷地を持つ施設が多く、元々は細川家(熊本藩)のお屋敷だった。
神戸高校



村上春樹の出身校、県下随一の公立の進学校です。公立校ながら大学のキャンパスのような雰囲気があります。同い年の家内は同時期にすぐこの下にある神戸海星女子学院に通っていた。


打出公園



村上春樹のデビュー小説、 『風の歌を聴け』の一場面で描かれている「猿のいる公園」。記述されているのは2個所です。最初はchapter4で僕と鼠がフィアット600に乗って公園の垣根につっこむシーン、2番目はchapter27で僕が住んでいる街を車で回るシーンです。 またこのすぐ北隣にやはりchapter27でモデルになったと思われる古い図書館の建物が残されています。「猿のいる公園」は檻は残っていますが、今はもう猿はいません。

トアロードデリカテッセン



ここのサンドイッチは村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てきます。

ピノキオ



村上春樹が震災後に神戸を訪問した随筆「辺境・近境」には、老舗のピザ屋「ピノキオ」も出てきました。昔、子供達が通った阪急六甲駅前の「マクドナルド」も出てきます。


King's Arms
「King's Arms」 と 映画版「風の歌を聴け」

フラワーロードにあった今は無きイングリッシュパブの「キングス・アームス」(左上の写真)は村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の映画化版(大森一樹監督・1981年公開)の1シーンででてくる。この映画では「King's Arms」以外にも神戸市内各地がロケに利用されている。(JR三宮駅前、元町商店街とヤマハ楽器店、神戸高校、多分神戸女学院、阪神高速、芦屋市民プール、異人館通りと異人館、多分昔のメリケン波止場、旧甲子園ホテル、武庫川土手、写真左下の北野のマンションなど懐かしい風景が見られます。)。村上春樹ロングインタビュー(考える人2010年夏号)によると大森一樹の家は村上春樹のご近所だったそうです。

映画版は原作にはなかったシーンが追加されています。東京神戸間のドリーム号だとか、「鼠」が映画の制作に取り組むだとか?、「女」の妊娠とか・・・?。それに残念ながらフィアットが事故を起こすのは打出公園ではないし、小説の本来の舞台は「芦屋」から「神戸市内」に移されています。もっとも小説の中では「芦屋」という言葉は一度も出てこないのですが!

でも最後のシーンでベッドにいる「女」が双子の片割れだったとは?もう一度最初のシーンから見直して、出てくるそれぞれの「女」が指のある方か、無い方か確認したくなりました。双子の女は続編(?)の「1973年のピンボール」にも出てきますし、「羊男のクリスマス」にもでてきます。「穴」や「井戸」と並んで「双子」は春樹ワールドを構成する「なにか」の一つになるようです。

最後に主演の小林薫は、確かに癖毛の髪型が村上春樹さんに似ているような・・・・?
 
撮影に使われたマンション
 

ピンボールもあるよ!

「Half Time」 と 映画版「風の歌を聴け」

ハーフ・タイムは映画版「風の歌を聴け」でジェイズ・バー(J's Bar)の舞台になっている。

看板によると1978年創業の、三宮のビルの二階にある「ふるーい」バー。新しい入れ物に古いコレクションを集めたという「アンティーク」という軽い言葉はあえて使いたくない。なぜならバーの中には1970年代の空気がそのまま時代に流されずに残っているから。
 
ジェイズバーがもしあれば、確かにこんな感じかも?と思わせてしまう。古いポスターや現役の古いレジスター、使い込まれたカウンターテーブルも素敵、古いピンボールやダーツもある。BGMも古いジャズやブルースがかかっている。

中国人バーテンダーのジェイの代わりに気取らない音楽好きのママさんと青年がいる。ママさんは僕らとほぼ同世代か?気さくで快い対応です。

ママさんに何か聞くかと尋ねられ、たくさんあるCDからヘレン・メリルの「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」をかけてもらう。この中の一曲、「ボーン・トゥ・ビー・ブルー」は村上春樹が「村上ソングズ」という著作の中で取り上げている。ママさんはこのクリフォード・ブラウンが好きだそうです。確かにいい音を出しています。

この後、ヘレン・メリルとジャニス・ジョップリンの話で盛り上がる。ママさんはこの世代の音楽に詳しい。レコードプレーヤーもあるが壊れていて直しようがないとのこと、この店でLPが聞けるようになるとますますいいな!

土曜の夜のためかほぼ満席最後に、お値段はとてもリーズナブルです。

2013年12月9日追記:いつも笑顔で迎えてくれた、インテリで優しいママさんのご冥福をお祈りします。

芦屋川と松並木

「僕」と「鼠」と「ジェイ」が住む「街」には、芦屋川と思われる川が何度も記述されている。「羊をめぐる冒険」の一章に書かれている通り、昔美しい砂浜だった海岸は埋め立てられ、高層団地になってしまっている。

「羊をめぐる冒険」でのジェイの言葉(第5章の3:歌はおわりぬ)
「気持ちはよく分かるよ。山を崩して家を建て、その土を海まで運んで埋め立て、そこにまた家を建てたんだ。そういうのを立派なことだと考えている連中がまだいるんだ」

青山一丁目の青山ツインタワー

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の「ハードボイルド・ワンダーランド」の世界では、神宮外苑あたりの地下に広大な闇の世界がひろがっており、「やみくろ」がその支配者となっている。「私」と「太った娘」は闇の地下世界から下水道を経て地下鉄銀座線の青山一丁目駅から地上に脱出する。

皆さん、この辺りの地下鉄に乗る時は気をつけましょう!「やみくろ」につかまって地下世界に引き込まれ、食い殺されるかもしれません。

僕が本当に村上春樹の本をおもしろいと思って引き込まれるように読み出したのはこの本からだと思う。でも今読むとちょっと冗長なところや春樹らしいリズムの良さにかけるところがある。

Put a tiger in your tank!

首都高3号線 三軒茶屋付近
ここが「1Q84」の世界への入り口でもあり出口でもある。

青豆は砧の近くでタクシーを拾い、用賀から首都高3号にのる。三茶付近で渋滞に遭い、非常階段から地上に出る。そしてそこはリトルピープルがいて月が二つある世界「1Q84」だった。

そしてふたりは逆の経路を通って「1984」への脱出を試みる。

BOOK3の40ページ青豆は同じ場所でエッソの「タイガーをあなたの車に」の看板を見ている。そしていよいよ脱出する場面の589ページ「目の前にはいつものエッソの大きな看板がある。タイガーをあなたの車に。同じコピー。同じ虎。」・・・・そして591ページ「看板の虎は左側の横顔をこちらに向けている。しかし彼女が記憶している虎は、たしか右側の横顔を世界に向けていた。虎の姿は反転している。」このあと、二人が見上げた空には月は一つしかない。つまり「1984」の世界に帰ってきたと納得する。でも何か不安だ。記述が読者に100%の安心感を与えない。
彼らが戻った月が一つの世界は「1984」でも「1Q84」でもない、もう一つの別の世界なのではないか?と言うことはBOOK4があるのでは・・・?

映画をめぐる冒険

村上春樹・川本三郎によるビデオガイド。奥付によると昭和60年12月24日の第一刷。僕はこのガイドブックを参考にして、かなりのビデオを見た。共著の川本三郎には悪いが、わずか数行の文章で、見事にその映画の本質を言い当てている。僕は何よりその文章力に驚いた。「羊をめぐる冒険」とともに、村上春樹を発見する動機の一つになった本です。
最近インタビューを読んでいると、村上春樹は滅びていくものの美しさをよく「平家物語」になぞらえる。この本では「スターウォーズ帝国の逆襲」を平家物語になぞらえている。
ところで村上春樹の著作はほとんどのものが何らかの形で出版され手に入れることが出来る。でもこの本だけは再版される様子はない。その分、ネットでは高く売買されているようです。




6 次 元

 荻窪にあるハルキストの聖地です。2016年に訪問しました。向かって左側にある階段の上がお店です。残念ながらゴールデンウィークはお休みでした。ウェブサイトにあるお店のコンセプトが素敵です。店主さんをはじめ、運営している人たちの努力に敬意を表します。村上さんはいつかノーベル賞をとってこの店の人たちが沸くところが見てみたいです。もっともノーベル文学賞をとったからと言って村上さんの価値が変わるわけではないですが!
向かいに立派な神社(白山神社)があります。





22年11月23日に観に行きました。上は映画館で売っていたノルウェイの森のTOTEバッグです

映画版「ノルウェイの森」 

 この映画は「愛の喪失とその創造の物語」です。「生と死、愛と性」が主題になってそれらが絡み合いながら進んでいきます。原作中での村上春樹の言葉「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」という感覚がそのまま具現化・映像化されています。登場人物も、やがて「生きるもの」と「死ぬもの」にはっきりと分かれていきます。

 ワタナベと直子が草原を歩き続ける長いシーンが素晴らしいです。草原は強い風に激しくたなびき、その中をふたりは相当の早足で歩き続け、話し続けます。それに合わせて僕たちの視線(カメラ)も動き続けけっして止まりません。そして最後に彼女の心の破綻を暗示するシーンに至ります。

 菊池凛子は 愛の喪失によって心が蝕まれ、やがて精神が破綻し死へ向かっていく「直子」を見事に演じています。ただカットによってはどうにも二十歳に見えないのが残念だけど・・・。松山は、「彷徨いとまどう心を持った青年」、「若く健康な性欲を持つ青年」、一方で「頑固な芯のある青年」を淡々と演じています。この彼が持つ「芯」が多分親友のキズキと決定的に違うところなのでしょう、つまり彼が生を選択する理由だと思います。 

 またベトナム系フランス人の監督(トラン・アン・ユン監督)ですが、寮やアパートのシーン、特に雨が降っているシーンはどこか南アジアの風を感じます。どちらの女性だったか忘れましたがワタナベと一緒に麺を食べているシーンがあります。映像のアジア的美しさから、一瞬彼らがフォーを食べているような錯覚を受けました。

 最後のレイコとのセックスは意味がわかりにくいですが、おそらく「死から生への回帰」を表しているのだと思います。直子の死に対し、レイコは「死のグループ」から「生のグループ」に回帰したのだと思います。レイコにとって、そのために必要な行動だったのでしょう。このセックスはこの映画の中で唯一、希望を感じるセックスです。ワタナベのパートナーが死(直子)から生(緑)へとバトンタッチするところと合わせて、多少の希望を感じさせるエンディングになっています。

 昔の青春映画風に言えば 一人の男性が子供から大人になっていく物語です。そう言う面で捉えれば、男の子なら大なり小なり誰もが通過した記憶がある物語でもあります。最後に、僕たちと同世代の映画なので、洋服が僕たちの青春時代のものでした。結構あのころの服って格好良いのですね。そう言えばタクシーの初乗りが100円となっていました。


色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年

多感な青年達の成長の物語と言う面ではノルウェイの森に少し似ています。主人公は、心の奥底に隠された本当の自分を見つけるために巡礼の旅に出るのです。

この本は1Q84とは異なったパラレルワールドが描かれている感じがします。二つの世界とは「現実の世界(real world)」と「意識下の世界(subliminal world)」です。人間と人間は「現実の世界」で相互反応しあい、様々な関係を築く。それと同様に「意識下の世界」でもまた別の反応を起こし、「現実の世界」にいる自分には理解できない別の世界を造っているのです。そしてこの小説はかい離した二つの世界を埋めるための「意識下の自我」への巡礼と言ってよいかもしれません。そう考えたのは、「五角形の関係にある登場人物の一人が殺されたら通常犯人は残りの四人のだれかでしょう!」的な不安な気持ちにあります。村上春樹の小説はいつも解かれないままの謎が残って終わっていきます。ひょっとして僕たちは重層的な世界に生きていて、縦軸の奥にトラウマが隠された世界があって、その世界では別の行動をとっている・・・などといらないことを考えてしまいました。

もう一つ、最後のフィンランドへの巡礼の旅で、多崎つくるや我々読者が得られる大きな「慰撫」は今までの村上春樹の世界にはあまりなかったかもしれません。こんなに幸せな世界が村上春樹にあったんだ!と思ってしまいます。

作中に出てくるとても印象的な言葉

「記憶を隠すことはできても、歴史を変えることはできない」。

人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものだ」
(平成25年4月15日記)


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