イスタンブールに恋して

    中井挙子


若い頃に行ってみたい海外旅行は、パリ、ニューヨーク、そしてイスタンブールでした。
イスタンブールはアジアとヨーロッパにまたがる街。TVや旅行記で見る度に夢は膨らんでいきました。

9月15日関空23時45分発のイスタンブール行きはその日の最終便のようで、待合室はもうひっそりとしてました。機内の初めてのトルコ語は何も聞き取れず、旅行用の会話メルハバ(こんにちは)とありがとう(テシキュルレディウム)だけが少し分かりました。
この度はビジネスクラスなので、シートはゆったり、トイレも楽。初めてのトルコワインを頂いて睡眠薬を飲んで眠りました。
すぐに、少しの和食とトルコ料理がでましたが、最後に関空で食べたお寿司がたたり、あまり食べれませんでした。でも、世界一美味しいと言われるトルコのパンは外はカリカリ中はもっちりでほんと美味しく頂きました。
 13時間の飛行時間は意外とあっというまで、飛行機の窓から早朝にみえるマルマラ海からイスタンブールの街、モスクのミナレットらしき塔にまず感激しました。

トルコの空港の入国審査は割と簡単で、NYの時のように荷物を開けたり靴を脱いだりする検査はありませんでした。
空港には、トルコ人の20才くらいの若い迎えの女性がきていました。日本語がやっと話せるほどの人でしたが会話が通じるので助かりました。
ホテルまでに次々見る初めてのモスク、モスクに感激。30分ほど走って、迷路のような細い道を入りホテル・ダフネに到着。ここはブルー・モスクにほど近い旧市街地のプチホテル。早朝なので、まだチェックインはできず、近くのアパートメントで一休み。
一刻も早く街にでたいため、靴を歩き用に買ったスニーカーに履き替えて、いざ出陣。

まずはトプカピ宮殿へ。地図がもう頭に入っている主人のあとに付いて石畳の道を歩きました。
どうせトラムやシーバスに使えるので、アクビル(イコカやスイカのようなもの)を買っておこうとしたら、まだ8時半だというのにもう閉店。色んな人の旅行記通り、なかなか買える時間が難しいのがよく分かりました。これが、今後これやジェトンという切符を買うのに苦労する始まりでした。
トプカピ宮殿に行く道中で、ニコニコしながら「日本人ですか?どこから来たんですか?」とついてくるトルコ人。さあ、これが絨毯売りだなと思って軽く受け流してたら、ずっとトプカピ宮殿の入り口まで自分は日本に住んでいて、今こちらに帰っている、奥さんは日本人、子どももいるなどの話をしてとてもフレンドリー。宮殿の入り口でじゃあと言ったら、まだ開館まで時間があるから、あちらの古い道をみてきませんかとの誘い。これをやっと振り切って、トプカピ宮殿の開館9時まで隠れてました。

トプカピ宮殿に入り、すぐにハーレムの入り口まで行き、9時半からの入館を待っていました。そこには世界中の観光客。色んな言語が飛び交い、みんなが楽しそう。早朝のためか珍しく日本人はゼロ。色んな言語の人とハーレムツアーに入ったら、誰も案内人はいず、あるアメリカ人が英語ツアーはないのか、説明の聞けるテレフォンはないのかと聞くと、警備のトルコ人がもうそれはやってない、何なら英語の話せる警備を呼ぶと言ったのですが、結局数分経っても誰も来ず、みんなそれぞれ各自でみることになりました。
ハーレムは何度もTVや本でみた以上にイズミックタイルがこれでもかというほど使われており、扉は螺鈿、窓はステンドグラス。でも、スルタンの部屋以外は天井は低く、窓には鉄柵があり、籠姫たちの部屋はまるで鳥かごのようで、一日もここでは暮らしたくないなと思いました。
ハーレムから今度はトプカピ宮殿のメイン、謁見の館では宝石がふんだんに使われた衣服に目を見張りました。宝物殿では、更に素晴らしいイズミックタイル、手のひらくらいあるスプーン職人のダイヤモンドや大きなエメラルドの短剣などの宝物にも驚嘆しました。
トプカピ宮殿の第4庭園からは美しいマルマラ海と金角湾、遠くにガラタ塔がみえ、わー!イスタンブールに来たんだ!という新たな感激がありました。
トプカピ宮殿には大勢の世界中からの観光客もいますが、トルコの学生の団体もきてました。まだ高校生くらいの子でしたがお揃いの警察学校マークのTシャツを着ていました。日本人が珍しいのか、男の子も女の子も日本語で話しかけてきました。その中で、数人の女子学生が私をみて、「ビューティフル!」なんて言ってくれたので、色々日本語でお話して、思わず持っていた日本の和装小物入れをプレゼントしました。どの子も美人でほりが深く、何故私をビューティフルといってくれたのか、日本でも誰にも言われたことのないこの言葉はとても幸せな気分にさせてくれました。
くまなく見学しため、ぐったり疲れて、幸福の門の横のカフェで一休み。
コーラとサクランボジュースを頂きました。誰かの旅行記に書かれていた通り、トルコ人と外国人とは何でも値段がちがうようで、外国人値段をとられたようでした。

次はアヤソフィアへ。ここはもう11時過ぎなのですごい混雑。日本人も多いのですが、中国、韓国の人が多く、見間違う事が多々ありました。
トプカピ宮殿とは全く違うアヤソフィアはやはりキリスト教の香りがしました。その大きなドーム、素晴らしいビザンチンのモザイク画。
その中でも、二階の奥にあったディージスのキリストは素晴らしかった!ついついカトリックの女子校時代のようにお祈りしたくなりました。
私はこの旅行で一番感動したのは、ここでした。いつまでもここに座っていたい、そんな感動でした。
この日は30℃くらいあるのじゃないかと思うほど暑く、次は地下宮殿に入りました。ここは、ビザンチン時代の地下貯水場。大きな石の柱は一つづつライトアップされていて、何本も連なる姿は幻想的でした。水の中には色んな魚がいましたが、不思議に日本の金魚も泳いでいました。奥の方には観光名物である柱の土台に使われている逆さまと横向きののメデュサをみてきました。怖いはすのメデュサもこんな姿だと返っておかしく思われました。
ここまでで約5時間歩き回り、くたびれてブルーモスクの前辺りのカフェに入り、ホットドック(もちろんマトンのソーセージ)と生オレンジジュースで昼食。このオレンジジュースは生のオレンジを5,6個しぼった本当の生ジュースなのでとても美味しく、これでビタミンを補給しました。

さて、ここから第一の事件が始まります。
もう疲れて歩けないので、タクシーで新市街の軍事博物館に行くことにしました。
ブルーモスクの前のタクシーに乗り込み、フレンドリーにここは何何と教えてくれる運転手さん。
新市街の大分先なので、途中の変わりゆく景色に見とれて到着。
到着すると運転手は人が変わったように、大きな声で「○○ドル!」というのです。主人がリラで○○かというと、「ノー、ノー、ドル、ドル。」と言って主人が開けてる財布に手をつっこんできました。料金は7000円くらいとられたのですが、この時、サッと100ドル札も抜かれたようで高い高いタクシー代となりました。それ以来、もうタクシー恐怖症になり、イスタンブールでは二度とタクシーには乗りませんでした。
軍事博物館では怖い怖い大砲や銃などはそこそこに見て、軍楽隊の演奏を聞きました。
これはコンサートホールで聞くのですが、コンサートホールが中庭に繋がっていて、演奏が始まるとサーッと中庭の大きな扉が開きます。軍楽隊は隊列を作って、 中庭から演奏しながらコンサートホールに入ってきます。演奏は素晴らしく、いわゆる原点のトルコ行進曲。これを演奏して、オスマントルコが攻めてきたと思うと、その音が不気味にさえ思えました。
軍事博物館から歩いてホテルに帰るには遠すぎるし、もう少し元気を出して新市街の繁華街、タクシム広場、イスティクラル通りに行ってみようということになりました。

タクシム広場やイスティクラル通りは賑やかで、旧市街のようにスカーフを巻いた女性もほとんどいず、お洒落な若者や買い物客であふれていました。
ここまできたら、イスタンブールのシンボル塔、ガラタ塔にも行ってみようと地図を片手に捜しました。旧市街からはとても大きく見えたガラタ塔は、なかなか見つからず、30分ほどそのまわりをグルグル回っていたようです。そこに、駐車場にいたトルコ人の若者が「ガラタ塔なら、あっちだよ!」と親切に教えてくれました。タクシー事件のあとなので、トルコ人でも親切な人もいるんだということが分かって嬉しくなりました。
やっとたどり着いたガラタ塔からの眺めは最高で、旧市街から新市街まで果てはアジアサイドまで見ることができ、またまた感動の瞬間でした。
ここからは二層になった金角湾を結ぶガラタ橋を渡り、初めてのトラムに乗り、長い長い初日の観光は終わりました。
この日のおまけにベリーダンスも見に行きましたが、ほとんど裸で腰をくねらすエロティックなダンスと、普段はスカーフで顔を隠して長袖長スカートの女性の姿とが一致せず不思議な文化だと思いました。夕食付きでしたので、トルコ料理だったのですが、全部ヨーグルト味だし、疲れも手伝ってパンとワインのみいただきました。

この日からお世話になるホテル・ダフネは旧市街地にあるプチ・ホテル。隣近所もこのプチ・ホテルが連立してますが、ブルー・モスクから歩いてすぐの所にあり、遠くにはマルマラ海も見えて素敵なところでした。どうやら家族で経営しているらしく、受付のオジサンと若いお兄さん2人、掃除のオバサンの4〜5人の従業員のようでした。受付のオジサンは英語が堪能で、日本語もしゃべれますが、他の人は片言の英語でなかなか通じないこともありました。ホテルはツインのベッドと小さな机。ちゃんとバスルームもあり、トイレも水洗、クローゼットからプチ冷蔵庫、金庫まで完備していました。ただ、すぐにエアコンがつかない、壁の一部がはがれる、部屋のキーをセットする電源スイッチのカバーがはずれるなどの不備はプチ・ホテルだなと感じました。

さて、二日目。
一日目は人の倍近くの観光を盛りだくさんにしたので、今日はのんびり起きようと思ってましたが、朝のアザーンで目が覚めました。けっこうお経のようなものなのか、心地よい響きです。ホテルの窓からは遠くにマルマラ海、すぐ横の窓は隣のおうち。屋根の上には猫が二匹。イスタンブールはとても野良猫が多く、道路、公園、果てはアヤソフィアの中、レストランやカフェの中まで入ってきても誰も何も言いません。誰かが餌をやっていますが、猫もおりこうで待っていて、テーブルの上まであがってとったりもしません。野良犬もあちこちにいますが、うなだれていて、人に吠えたりかかってきたりは一切しません。動物には極めて寛容な街のようです。

朝食はホテルのバイキング。
オレンジジュースとアイアン(飲むヨーグルト)、エキメッキ(フランスパン)、マトンのソーセージ、トマトとメロンを頂きました。朝食をいただくレストランの窓からは学校に行く子、仕事に出かける人、スカーフをしっかり巻いた女性、キャリアウーマンなのかスカーフせずハイヒールで闊歩する女性、ヒマそうに表の椅子でそれを眺める男性などが見えます。

朝食を済ませて、石畳の道を通って、ブルーモスクに行きました。持ってきたスカーフを巻いて入場。狭い通路を抜けると大きなドームが広がります。ユリやカーネーション、チューリップなどの美しいイズミックタイルに囲まれた壁とドームのステンドグラスにまたまた感動!日本のお寺、教会に入ったときと同じような心がスーッと洗われていくような気持ちになりました。床にはチューリップ柄(オスマントルコの伝統柄)の素晴らしい絨毯が敷き詰められ、ここにイスラムの信者がひれ伏してメッカの方角を向いて拝む姿を想像しました。

次はトプカプ門というテオドウシスの城壁まで行こうと、トラムの通っているデイワン通りまで行きました。
いざ、切符のジェトンを買おうとしたら、切符売りのオジサンが「no,money!」と言って売ってくれません。隣のトルコ人がお金の勘定の時間だから10時まで切符を売らないですよと教えてくれました。その人が、どこまで行くのか聞くので、トプカピ門まで行きたいというと、あそこは麻薬をやってる若者が多いからやめた方がいいと教えてくれました。
これで、タクシーも怖いし、ビザンチン文化の残るフェネル地区にも行くのは諦めることにしました。
そこで、歩いてヴァレンス水道橋まで、グランド・バザール、イスタンブール大学、スレイマニエ・ジャミイなどをみながら行くことにしました。
グランド・バザールは朝早いためか、まだ人はまばらで、時折「ニッポンジン!おみやげあるよ!」と声をかけられましたが、覚悟していたので軽く受け流して、真ん中にあるオールド・バザールへ。金銀、アンティックなものがいっぱいですが、見ると買わされそうでザーッとみて通りました。
途中で「WC」とあったので、50クルス払ってトルコ式トイレに初めて入りました。とても清潔で、びっくり。トルコ人は清潔だということがトイレで分かります。臭いもなく、塵一つ落ちてません。
トイレを出たところに小さなチャイ屋さんがあって、チャイを初めていただきました。とても香り高くて、疲れがとれるような暖かさでした。小さな縁台には、トイレに行ってる母親を待っているのか、制服を着て荷物をしっかり守っている小学生くらいの男の子。大きな澄んだ目で我々を珍しそうに見ていました。
ここで、イスタンブールのトイレ事情を一言。イスタンブールはトイレに困らない。
とにかくモスクに行けば必ずあるし、大きな施設には無料のもあるし、しかも明るくて安心。今まで行ったどこの国よりもトイレ事情はよかったです。

続いて、スレイマニエ・ジャミイでは、スレイマン一世の霊廟もみてきました。
大きな棺に見事な織物がかけてあり、ターバンも飾ってありました。
今まで行った世界のお墓とは全く違うものでした。
スレイマンはオスマントルコ時代でも珍しく長く続いたため、大スレイマンと言われており、そのお墓も立派でした。
イスタンブール大学は宮殿の跡だそうで、その門は荘厳で素晴らしいものでした。大学らしく、表にはいっぱい露天の本屋さんがありました。
そこからかなり歩いたところにやっとヴァレンス水道橋がありました。ここはちょうど京都の南禅寺の水路閣の二段重ねですが、下は自動車道路で交通量の多い所です。夜はライトアップされてとてもきれいで、最後の日もここのライトアップを見て飛行場に向かいました。
 この日の昼食は、シミット(ごまパン)。生オレンジジュースと頂きました。この名物のごまパンは大きくてとても弾力があり美味しかったです。

さて、二日目午後。
今度は歩いてヨーロッパ最終駅シルケジ駅まで行きました。フランス人の建築らしく、待合室にはバラ窓がありました。ここから遠くヨーロッパ各地にあのオリエント特急が走っていたのです。
シルケジ駅から少し上がっていくと、イスタンブールで一番大きいイエニ・ジャミーの前を通ってエジプシャン・バザールがみえてきます。ここはいわゆる庶民の市場って感じでツーンと香辛料の香りがして、すごい賑わいでした。
ラマダン中(断食月)はたくさんの買い物客で特に混み合うようです。大きな荷物を持った人が行き交い、すごい混雑でした。
このバザールの中にあり、下が店舗になっているというイズミックタイルで有名なリュステム・ジャミイを捜しました。ウロウロしていると、オジイサンが手招きして、小さな暗い階段を指さして教えてくれました。こわごわその階段を上がってみると、目の前に素晴らしいタイルの小さなモスクがありました。柱、天井、壁すべてが幾何学模様と花をモチーフにした深いブルーのイズミックタイルで覆われ、ところどころに真っ赤なタイル。思わず声をあげたくなる美しさでした。

この後は、頑張ってまたガラタ橋を渡りました。一日目と違って、二段重ねの下の方を通りましたが、多くのシーフードレストランがあり何とも賑やかな橋でした。上の橋では今日もたくさんの釣り人が並んでいました。この橋は1m間隔で毎日釣りをしてる人がいますが、その横で餌売り、椅子貸しやなどが商売してます。
イスタンブールでは大人も子どもも道や公園で色んな商売をしています。靴磨き、水売り、タバコ売り(あやしいタバコ)、ヨーヨーなどのおもちゃ屋、体重測り屋、代書屋(タイプライター)。体重測り屋はふつうの家庭にあるような簡単な体重計を使っていて、これが商売になるのは初めてみました。
もう一度新市街に渡ったのは、世界一短い地下鉄チュネルに乗る目的でした。
ところが、捜しても捜してもない!人に聞いても、トルコ語の人なので、何を言ってるのか分からない。
結局、あるべき所までもどったら、工事中・・現在使われてないと言うことでした。
初めてのところでの捜し物はほんと難しいものです。観光用の地図も案内もこういう細かいところは書いてなくて、残念ながらチュネルには乗れませんでした。

ホテルに帰る途中に、お土産のお皿やタイル、キリムなどを買いに旧市街のアラスタ・バザール辺りに寄りました。
でも、ものすごい呼び込みで、振り切って、振り切って、結局インターネットで調べたトルコ旅行記No1の人に書いてあったヴァン猫のいる店まで行きました。
ここは、よく日本語の分かるトルコ人がいて、私が手に持っているコピーをみつけて、インターネットを見てこられたんですねと言ってくれました。
結局、ここだけでキリム、タイルなどを買うことになりました。トルコとイランとの国境近くにあるヴァン地方の出身の人の店で、キリムも自分のうちで織っているものだとか、素晴らしいキリムや絨毯もみせてもらいましたが、手頃な壁掛け用を買いました。ここに飼われているヴァン猫はヴァン地方にしかいないという猫で、真っ白でフサフサのしっぽ。それに薄いブルーと金色の左右色の違う目をしています。猫好きとしては出会えて幸せでした。
この夜の夕食はもう外に出るのは疲れるので、ホテルの夕食を日没の7時に予約しました。
レストランは屋上のテラス席。
すぐ近くにマルマラ海、左手にはライトアップされたブルーモスクのミナレットがみえ、それはそれは素晴らしいディナーとなりました。遠くに沈んでいく夕陽をみ、7時半にはアザーンが鳴り響き、最高に美しい夕食となりました。
このホテルの食事がけっこう美味しくて、トマトスープ、魚の塩焼き(キュプラという鯛のような魚)、サラダ、デザートのライスプリン、初めて完食できました。

三日目は時間の余裕もあり、ドルマパフチェ宮殿まで行くことにしました。
現在はトラムがドルマパフチェのすぐ近くのカパタシュまで行ってるので、トラムに乗って行きました。
この日は珍しく切符やが開いていて、無事にジェトンが買えました。
ドルマパフチェはバロック様式にオスマンの伝統的な様式を取り入れたすごい宮殿で、私達は公式スペースツアー(ハレムツアーもありますが)の方に参加しました。総室数285という巨大な建物のメインを英語の案内人に付いて行きましたが、見る部屋見る部屋、これでもか!という調度品、シャンデリア、シャンデリア、シャンデリア。
中でも最後に入った吹き抜けのある「帝位の間」のシャンデリアはバカラ製で世界最大級だそうで、よく上からつり下げられてるなという巨大なものでした。
ここから出ると前にボスボラス海峡、素晴らしい眺めでした。

ここから、カタパシュまで歩いて、今度はいよいよアジア行きのフェリーに乗り、ボスボラス海峡を渡ります。
ウースクダラ♪♪の歌で有名なウスキュダルまで渡り、ハレム港まで海岸縁を歩きます。
アジアの田舎という感じで、あまり生活の豊かでないお年寄りや、ジプシーぽい人がいて、少し危険を感じますが、しつこい絨毯売りもなく、つけ回してくるトルコ人もいず、ゆっくりハレム港まで散策しました。
ハレム港にはアジア各地に行くオトガル(大きなバス停)があります。ここは沢木耕太郎さんの「深夜特急」に出てくるバス停です。
私達も沢木さんと同じコースでハレム港からフェリーに乗り、旧市街のエミニニュまで帰りました。
だんだん近づいてくる旧市街のトプカピ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクが青空の中に近づいてくるのは、何とも素晴らしい景色でした。
エミニニュ港で、名物のサバサンド(フランスパンに焼きサバと生のタマネギがはさんであります)を昼食に、これはけっこう美味しくいただきました。

ここでまたホテルに帰り休憩。
また体力も復活して、今度はマルマラ海の方に降りて、クムカプという魚市場のある港まで歩いていきました。
途中でビザンチン時代の教会をモスクに改造したアヤソフィアに似ている小アヤソフィアに寄りました。ここではモスクの前にオジイサンと脳性麻痺らしき20才くらいの青年が履き物の世話をしてました。
我々が入ると、オジイサンが付いてきて、我々が「ビザンチン?」というと手招きして、内部のビザンチンの名残を案内してくれ、ちょっと行けない二階にまで連れて行ってくれました。最後に御礼に一リラを渡すと申し訳なさそうにもう一枚くれとジェスチャー。そうか、あの脳性麻痺の青年の分も要求してるんだと分かり、もう一リラ渡しました。オジイサンは「アリガト!」と何度も御礼を言って、握手して別れました。

この小アヤソフィアから坂をマルマラ海方面に歩いていき、ケネディ通りまで降りていくと、コンスタンティヌス帝の城壁があります。ここから、クムカプ港まで西日を真っ正面に浴びながら、歩きます。
ケネディ通りは4車線か、6車線ある大通りなので、海岸よりの散策道にはなかなか渡れません。イスタンブールは交通整理がまだ行き届いて無く、歩行者用の信号が少なくて、毎日歩いていたホテルからの道も命がけで渡ってました。人優先じゃなくて車優先で歩道を歩くのさえ困難でした。
やっと、数km先に歩行者用信号を見つけて、クムカプ港まで行きました。
ここはたくさんの魚やさんが並んでいて、夕べ食べたブルー・フィッシュや、サバ、イワシ、マグロ、そのほか色んな魚が売っていました。日本と同じで、魚屋さんは威勢がよく、言葉は違えど、「エー、らっしゃい!らっしゃい!」と言ってるようでした。
ここから、またホテルまでもどるためには同じ道を帰るか、ここから坂をあがって行くか悩みましたが、初めての所を歩いてみようと神戸の坂のような急な坂を上がっていきました。
途中にシーフードレストランが何軒も並んであり、店先ではお年寄りがバックギャモン(向こうの将棋?)をしていました。
続いては、皮やさん、靴やさんとイスタンブール名物の革製品を作る工房が何軒も何軒も並んでました。夕方に近いためか、忙しそうに車が行き来して、男性ばかりが大勢動き回っていて、一人も女性に会いませんでした。
こんな所に迷い込んで大丈夫かなとあのタクシー事件のトラウマが心をよぎり、トラム通りに着いた時はホッとしました。これこそ、観光客が行かない穴場でしたが、貴重な体験で今から思うとよかったです。
この日はイスタンブール最後の夕食。まだ食べてないシシカバブなどケバブを食べようと6時過ぎにブルーモスクのそばの伝統トルコ料理のお店に行きました。
もうテーブルにはパンも準備されていて、店の前には呼び込みのオジサンもいるのですが、誰もお客はいない。何時からと聞くと「7時半くらいかな」という返事。ああ、これがラマダンの夕食タイムかとやっと気づきました。
イスタンブールはイスラム教徒は90%以上だそうですが、現在はラマダンを守らない人も多く新市街ではけっこうレストランは開いてました。ここは旧市街地、老舗のトルコ料理屋なのでしっかりラマダンを守っているらしいのです。仕方なくディワン通りの観光客向けのお店で食べました。念願のシシカバブを食べ、初めてエフェスビールを飲み、食後には初めてのトルココーヒーも頂きました。観光客向けのためか美味しく頂きました。
帰りはもうすぐ日没。ブルーモスクの横の公園を通ったら、芝生にたくさんの人々がゴザのようなものを敷いて、食べものを前にして待っています。屋台の中の人もテーブルに料理を並べて待っています。その時、「アザーン!」が鳴り、一斉に食べ出しました!まるで、おあづけされた犬のように、子どもも大人もお店の人もお客も守衛さんも、「アザーン!」でおあがりするのです。ああ、これがイスラムなんだ!こんなすごい団結力では、とてもイスラムには勝てない!と思いました。
この光景はイスラムにはラマダンに行った者しか味わえない不思議な光景でした!
この日は今みた不思議な光景を思い出し、午後9時半頃のアザーンを聞いて、最後のイスタンブールの眠りに落ちました。

さて、最終日、おまけの日。
この日は飛行機が、午後11時45分発のため、お迎えが午後9時ということで一日おまけの日。
ゆっくり荷造りして、残しておいた美術館巡りをすることにしました。
最初に、トルコ・イスラム美術博物館へ。ここはトルコの伝統工芸がみられる博物館。宮殿やモスクに敷かれていたすごい絨毯やコーラン台、生のコーランなどをみて、ため息がでました。
ここは1時間もあれば見てしまい、このままあと2つの博物館に行っても一日もたないし、じゃあ思いきってトラムに乗ってテオドシウス城壁に行ってしまおうということになりました。無事にジェトンも買えて、トラムに乗ること20分、だんだん市街から離れていき、10個目の駅トプカプ(トプカプ宮殿とは全く違うところですが、同じ名前)に到着。
ところがこの駅が城壁を越えた向こう側だったので、降りてすぐ向かいに来たトラムで一つ引き返しました。城壁を越えるとジプシーや怖い人がいて危ない!と聞いていたので、ドキドキでした。
テオドシウス城壁はメフメット2世がウルバンの大砲を配置したところ。三重にもなっているのに、ここからオスマン・トルコがイスタンブールを制服したんだ!と感激しました。
城壁は意外と観光客もきていて、何の危険もなく無事にまたトラムに乗って市街地にもどってきました。
あまり時間もかからずに市街地にもどってきて、まだ時間はたっぷりあるし、もう一回フェリーに乗り、ヨーロッパからアジアに渡ってみることにしました。
今度はカドキョイまで、ここはアジア行きの汽車が発着するハイデルパシャ駅をみることができるところです。シルケジ駅はフランス人の設計ですが、このハイデルパシャ駅はドイツ人の設計。ドイツらしい建物で、頑強な感じがしました。
カドキョイはお洒落な若者でいっぱいで、現在はお洒落スポットらしく、歩いてる人もお洒落。誰一人、スカーフなんか巻いてないし、どこにもラマダンの広告もなく、あちこちでお茶を飲んだり、食事をしたりしてました。
私達もサーティワンのようなアイスクリームショップで、ドンドルマアイスを食べ、またフェリーで帰りました。
だんだん近づいてくるトプカピ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクが青空に映えて何ともいえない最後にみるイスタンブールの景色を名残惜しく、見てました。いつもホテルまで飛んできていたカモメたちがフェリーを追っかけてきます。
そして最後はゆっくり考古学博物館でアレキサンダー大王の石棺などをみ、古代オリエント博物館ではエジプト、メソポタミア、ヒッタイトの遺物などをみました。
飛行機に乗ったらすぐに夕食がでるけど、それまではお腹もすくし、でももうトルコ料理は食べたくないし、結局旅行者向けのレストランでスパゲッティを食べ、最後にチャイをいただきました。
あとはいつもの道を歩き、ブルーモスクの横を通り、ホテルにもどってシャワーも浴び、窓から見えるマルマラ海にサヨナラを告げました。これで、あとはゆっくり、ビジネスクラスで帰るぞ!と空港に向かいました。

さあ、最後の事件です。
カウンターに行くと、「ビジネスクラスはもうない!エコノミーになった!」とトルコ空港のオバチャンが高飛車に言いました。
私達と大阪のJTBの個人旅行のお二人に、そう宣告!
WHY!と聞いても、そうなった!そうなった!と言い切る。我々は最終予約のオンラインも見せても、NO!NO!そうなったんだ!
ここで、今度は大阪の我々より少し年上と思われる人が、流ちょうな英語で、どういうわけだ!納得いかない!説明しろと言うと、やっとエンジンのトラブルで飛行機を変えた!だから22人のうち12人しかビジネスにいけないと言うんです。
更に大阪の人は、じゃビジネスに乗れるのはどういう人なんだ?と聞くと、ぼそぼそ、先着順って言い出したんです。
結局、すったもんだ約1時間半、もうこれに乗らないと帰れないし、走って搭乗手続き、最後に買おうと思っていた免税店を横目に飛行機に乗り込みました。
我々の席のまわりは無理矢理、ビジネスからエコノミーに変えられた人ばかり、みんなの憤慨が聞こえてました。
飛行機に乗り、何故飛行機を変えたか分かりました。席はガラガラで燃料代節約のためどうやら小さい飛行機に変えたのが本当のようでした。
こうして、終わりよければすべて良しもなく、やっとの思いで日本に帰国。
でも、まあ、無事に帰られたし、イスタンブールはほんとに素敵な街だったし、異文化に触れられたいい思い出の一頁になりました。